アンドリュー・ワイエス(1917-2009)は、20世紀のアメリカ合衆国を代表する画家の一人です。抽象表現やPOPアートが目立つ同国の絵画界にあって、リアリズムを大切にする作品を描き続けました。風景や人々を描きその国の本質に迫る作品は、多くの人々の心を動かすとともに、その無常観が日本人の心情にも寄り添うものと評されています。
17年振りとなった今回の展覧会では、生と死、光と影といった「境界」がテーマとして取り上げられ、その精神性に拘った展示がなされています。
1945年、この作品を描いた年にワイエスは絵の師でもあった父と甥を事故で亡くしました。 ワイエスの表情には、悲しみや将来への不安と同時に、覚悟のようなものも見えます。 曇り空の中、草原を歩く画家の半身を照らす光が印象的な一枚です。

《自画像》1945年 ナショナル・アカデミー・オブ・デザイン
役目を終え朽ちてゆく教会。一見寂し気な印象ですが、屋外から飛び込んでくる白い鳥が暗い屋内に光を繋ぎます。右端にいる黒い鳥を誘いにやってきたのでしょうか。 小説の挿絵も手掛けるイラストレーターである父、N・C・ワイエスの影響を感じる作品です。

《マザー・アーチーの教会》1945年 フィリップス・アカデミー附属アディソン・ギャラリー
クリスティーナ・オルソンは、ワイエスが30年に亘って描いたモデルです。 玄関先に座って風を受け、海を眺めるクリスティーナは遺伝性の病気により足が不自由でした。しかし、海風になびく髪、明るい陽光に照らされて輝く姿には前を向き続ける力を感じます。ワイエスは社交的で自立した彼女に崇高の念を感じていたように思えます。

《クリスティーナ・オルソン》1947年 マイロン・クニン・コレクション
1968年にクリスティーナが亡くなった後、ワイエスは当時13歳のシリと出会い、モデルとして描き続けました。40代後半から70代のクリスティーナを見つめ続けたワイエスにとって、若く未来を感じさせるシリの生命力は、どのような存在であったのでしょうか。
また、同時期に描き続けたモデルには、その関係性において注目を浴びたドイツ人のヘルガがいます。今回の展覧会において、彼女の姿も1枚の素描の中で伺い知ることができます。

《そよ風》1978年 福島県立美術館(11月3日までの展示)
1968年から1969年にかけて、オルソン姉弟は立て続けに亡くなります。この作品は、その後のオルソン・ハウスを描いたものです。
アトリエとして画家が使っていた部屋から見えるこの煙突からは、生前2人の会話が聞こえていたそうです。遠くに見える白い鳥が自由に飛ぶ姿が印象的でした。

「オルソン家の終焉」1969年 クリーブランド美術館
オルソン家の台所を外から描いた1枚です。 手前の窓際に並ぶ瓶は、クリスティーナお手製のものでしょうか。 部屋には彼女が好んだ赤いゼラニウム、奥にある窓からは明るい海が見え、生活は決して閉ざされたものではなかったことが感じられます。

「ゼラニウム」1960年 ファンズワース美術館
落ち葉が氷の下に沈んでいます。 古く朽ち果てたものもあれば、つい最近枝から落ちたようなものもあり、右下には氷の上下に亘っている葉もあります。 画家は氷の下に沈んだ葉を「自分が重ねた経験や出会った人々を表す」と語っていたそうです。氷は確かに境界として存在しますが、分断をするものとしては描かれていません。両側の繋がりをワイエスは感じていたのかもしれません。

「薄氷」1969年 株式会社三井住友銀行
窓の外で双眼鏡を除く女性は、ワイエスの妻ベッツィです。 光の差し込む屋内、更に陽光溢れる屋外、白いシャツを着たベッツィ。双眼鏡に映る風景は、きっと美しく楽しいものであることでしょう。 妻を見つめる画家のまなざしが想像できる作品です。

「ヒトデ」1986年 フィルブルック美術館
会場内には絵画に登場するドアや窓を模したフォトスポットも用意されていて、絵画の世界に入り込んだような気持ちになりました。また、オルソン・ハウスの模型の展示もあり、どの角度からワイエスが描いたのかを自分の目で確認することもできます。
分断を感じることが多いこの時代、境界とは閉じられたものではなく、互いに行き来が可能であることをワイエスは教えてくれるように思います。境界の向こう側も繋がった世界として描かれる世界に明るい気持ちとなる展覧会でした。
[ 取材・撮影・文:カドタミキ / 2026年10月6日 ]