トニー・アウスラー(1957-)は、映像を立体物へ投影する独自の表現を切り開き、映像、彫刻、音響、光を融合したインスタレーションによって現代アートを牽引してきたアーティストです。テクノロジーと人間心理、信仰、社会との関係を問い続ける作品は、世界中の美術館で高く評価されています。
TOKYO NODEで開催中の「トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~」は、日本初の大規模個展。約40年にわたる創作の軌跡を紹介します。

内覧会に登壇した、トニー・アウスラー氏
会場に足を踏み入れると、無数の「眼」が暗闇に浮かぶ《スペキュラー》が来場者を迎えます。大小さまざまな眼に囲まれる体験は、「見ること」と「見られること」が反転する感覚を生み出し、私たちが日々消費する映像や視覚情報そのものを問い直します。
アウスラーにとって「眼」は、人間の尽きない好奇心の象徴です。情報に囲まれた現代社会の姿を、不気味さとユーモアを交えながら可視化しています。

《スペキュラー》2021年
本展のために制作された新作《星》は、視覚の限界を超えようとする人類の想像力をテーマにしたインスタレーションです。アメリカの「スター・ゲイト計画」や、日本の心理学者・福来友吉による千里眼研究などを手がかりに、「遠隔透視」という概念を現代的に読み解きます。
量子物理学や「シュレーディンガーの猫」の思考実験も重ね合わせ、科学と神秘、現実と想像力が交差する世界を描き出しています。

《星》2026年
《プライベート》は、家という身近な空間を舞台に、家族や監視、メディアとアイデンティティを問いかける代表作です。映像が投影された人形や監視カメラ、書類などが配置され、家庭という空間が心理劇の舞台へと変貌します。
映像技術によって「自分らしさ」がどのように形づくられるのか。1990年代に制作された作品でありながら、現代の監視社会にも通じるテーマを投げかけます。

《プライベート》1993年
《失われた時間》では、解離性障害やメディアによる自己認識をテーマに、人形へ映像を投影するアウスラーならではの表現が展開されます。
傷つきやすさと攻撃性が入り混じる人物像は、鑑賞者自身の心理にも静かに迫ります。

《失われた時間》1996年
《穴から吊り上げられて》は、19世紀アメリカで起きた「カーディフの巨人事件」を題材に、フェイクニュースや陰謀論を考察する作品です。映像や資料、AI生成映像を組み合わせながら、「何を真実と信じるのか」という現代社会の問題へと視点を広げます。
150年以上前の事件を通して、SNS時代にも通じる「信じること」の危うさを浮かび上がらせています。

《穴から吊り上げられて》2025年
《ロック2、4、6》は、「確証バイアス」の研究を出発点に、人は本当に自由な意思で判断しているのかを問いかけるインスタレーションです。迷路のような空間を歩くなかで、「精神」「身体」「未知」が複雑に交差していきます。
論理だけでは説明できない感覚が次々と現れ、鑑賞者自身も作品の一部として取り込まれていきます。

《ロック2、4、6》2010年
《mAcHiNe E.L.F.》では、水晶を思わせる立体へ映像を投影し、科学技術と神話、精神世界の関係を探ります。コンピューターや人工衛星を支える水晶と、古くから霊性の象徴とされてきた水晶という二つの側面を重ね合わせています。
見る位置によって変化する映像は、デジタル技術と人間の想像力が交差する不思議な体験を生み出します。

《mAcHiNe E.L.F.》2023年
1990年代後半、アウスラーはデヴィッド・ボウイと出会い、映像と音楽を融合した共同制作を行いました。《空(くう)》は、その協働から生まれた代表作のひとつです。
巨大なボウイの頭部映像と立体音響によって構成される空間は、映像技術が身体や意識をどう変えていくのかを詩的に問いかけます。

《空(くう)》2000年
展示の最後を飾る《キメラ》は、遺伝子編集やAI、生態系をテーマにした幻想的なインスタレーションです。光る植物や未知の生命体を思わせる映像は、人間が自然を創造する時代における生命のあり方を想像させます。
技術と自然、現実と神話の境界が曖昧になる空間のなかで、本展が問い続けてきた「人間とは何か」というテーマが静かに響きます。

《キメラ》2026年
映像をスクリーンから解放し、彫刻や空間そのものへと拡張してきたトニー・アウスラー。その独創的な表現を紹介するだけでなく、テクノロジーが急速に進化する現代において、「見る」「信じる」「記憶する」とは何かを私たち自身に問い返すような展覧会です。
[取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年7月2日 ]