力強い歌舞伎絵と、繊細でモダンな美人画。一見すると対照的な二つの世界を描いたのが、大正から昭和にかけて活躍した鳥居言人(1900~1976)です。
没後50年を記念した大規模な回顧展が、太田記念美術館で開催。歌舞伎絵や絵看板、美人画など約70点を通して、伝統を背負いながら自らの表現を模索した鳥居言人の画業を紹介します。

太田記念美術館「没後50年記念 鳥居言人 歌舞伎絵と新版画」会場
展示室の1・2階には、肉筆の大作が並びます。
《首尾の松/隅田川の夕涼み/両国橋》は、隅田川を題材とした三幅対。全体的に色調を抑えた、しっとりとした雰囲気が印象的な作品です。
中央には屋根船から身を乗り出す女性、右には両国橋、左には首尾の松が描かれています。橋桁の間から月がのぞく構図や、視線のつながりによって、三幅がひとつの物語のように響き合います。

《首尾の松/隅田川の夕涼み/両国橋》絹本着色三幅対、昭和7年(1932)夏 旧下田コレクション
本展のメインビジュアルである《みどりの雨》は、雨がしとしとと降る庭を、女性が障子を少し開けて眺める一幅。湿気を含んだ空気のなかで草木は霞み、画面全体に静かな情感が漂います。
清方門下として昭和3年(1928)の第13回郷土会展覧会に出品された記録が残っており、美人画の代表作のひとつです。

《みどりの雨》絹本着色/双曲一隻、昭和3年(1928)5月 旧下田コレクション
《志ばらく》では、四曲一双の大画面に歌舞伎十八番のひとつ「暫」を大迫力で表現。悪人によって善良な人々が危機に陥るなか、「しばらく」の声とともに主人公が現れる劇的な場面です。
鳥居派が長く培ってきた歌舞伎絵の伝統を踏まえながら、言人らしい躍動感のある人物表現も見どころです。

《志ばらく》紙本着色 四曲一双、昭和5年(1930)4月 旧下田コレクション
《合法衢 二題 立場太平次 うんざりお松》は、四代目鶴屋南北の代表作「絵本合法衢」の登場人物を描いた双幅です。次々と殺しを重ねる大悪人・立場の太平次と、蛇使いの悪婆・うんざりお松が、暗がりのなかに浮かび上がります。
昭和2年(1927)、銀座松屋で開催された「現代劇画展覧会」への出品作。言人の歌舞伎への深い理解と、人物を印象的に見せる構成力が際立ちます。

《合法衢 二題 立場太平次 うんざりお松》昭和2年(1927)5月 旧下田コレクション
言人は舞台装置の仕事も数多く手掛けました。道具帳は、大道具や小道具を制作する際の基準となる設計図で、舞台装置図とも呼ばれます。
《漢人韓文手管始(唐人殺し)》は、昭和43年(1968)に国立劇場で上演された通し狂言のための舞台装置。実際の舞台を支えた仕事を通して、鳥居派の絵師としての活動が単なる絵画制作にとどまらなかったことも分かります。

《漢人韓文手管始(唐人殺し)》昭和43年(1968)12月 株式会社劇雅堂
言人は幼い頃から、父である七代目鳥居清忠のもとで絵看板の仕事を手伝っていたと伝わります。14歳になると、『演芸画報』で早くも挿絵を手掛けるようになりました。
こちらの作品は、現時点で確認されている最初期の挿絵のひとつ。大正3年(1914)2月に市村座で上演された「川中島東都錦絵」に取材した作品で、同号の表紙は父・清忠が描いています。

『演芸画報』第8年第3号 大正3年(1914)3月 株式会社劇雅堂
絵看板も、鳥居派の仕事を受け継ぐ言人にとって重要な分野でした。《明治一代女》は、明治座で上演された川口松太郎作の舞台のために描かれたものです。
言人は「清言」と「清忠」の名を使い分けながら、戦前から戦後にかけて劇場の絵看板を多数制作しました。華やかで力強い人物表現からは、舞台の魅力を一目で伝える鳥居派の伝統が感じられます。

《明治一代女》昭和26年(1951)6月 株式会社明治座
言人の画業を語るうえで欠かせないのが、新版画の美人画です。昭和4~5年(1929~30)には酒井・川口合版と川口版、昭和6~11年(1931~36)には池田版から作品を刊行。女性の日常の一瞬を繊細に捉えた作品は高い人気を集めました。
《雪》は「創作版画 昭和風俗美人集」の一作。屏風作品をもとに新版画化されたと考えられ、雪見障子の外の景色や炬燵布団の模様などに、版画ならではの整理や変更が加えられています。

《雪》 昭和4年(1929)10月 株式会社劇雅堂
《朝寝髪》は、言人の代表作として知られる一枚です。昭和6年(1931)に池田版から刊行され、100部限定の予定でしたが、70部を摺った時点で警視庁に没収され、発禁処分となりました。

《朝寝髪》昭和6年(1931)11月 株式会社劇雅堂
鳥居派の伝統を受け継ぐ歌舞伎絵師でありながら、清方門下の美人画家として新版画にも新境地を開いた鳥居言人。舞台、絵看板、肉筆画、版画と、その仕事は幅広く、ひとつの肩書だけでは捉えきれません。
太田記念美術館では四半世紀ぶりとなる大回顧展で、言人の全貌をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年8月31日 ]