古代ローマと現代日本を行き来する『テルマエ・ロマエ』をはじめ、漫画、エッセイ、油彩画など、多彩な表現を続けてきたヤマザキマリ(1967―)。
14歳でヨーロッパをひとり旅し、17歳でイタリアへ。さらにエジプト、シリア、ポルトガル、アメリカなど各地で暮らしてきた経験は、世界も時空も軽々と飛び越える作品の中にも息づいています。
世田谷文学館で開催される「ヤマザキマリの世界 今この瞬間を生きる―Carpe Diem―」では、漫画やイラスト、文筆、油彩画などを通して、自らの地図を〈地球サイズ〉と語るヤマザキの世界観と人生観に迫ります。

世田谷文学館「ヤマザキマリの世界 今この瞬間を生きる―Carpe Diem―」会場入口
第1章「遊牧民・ヤマザキマリの誕生」では、その原点となった幼少期からイタリア留学までをたどります。1967年に東京で生まれ、5歳で北海道へ。ヴィオラ奏者の母・量子と妹との暮らしや北海道の大自然は、その後の感性を育みました。
母から与えられた『ニルスのふしぎな旅』や『宝島』など、旅する主人公の物語にも夢中になりました。14歳で初めてヨーロッパをひとりで巡り、その経験をきっかけに17歳でフィレンツェへ。国立アカデミア美術学院で絵画と美術史を学ぶことになります。

第1章「遊牧民・ヤマザキマリの誕生」

第1章「遊牧民・ヤマザキマリの誕生」
第2章「生きていくために漫画を描く」では、漫画家として模索を続けた時代を紹介します。イタリアで息子を出産したヤマザキは、一人で育てることを決意。日本の少女漫画誌の新人漫画賞に応募し、賞金で帰国するための航空券を購入しました。
漫画家としてデビューしてからは、原作付き作品などを手がけながら、イタリア語講師や事務職、テレビ番組のリポーターなども経験。「十足のわらじ」ともいえる生活を送りながら、描き続けました。

第2章「生きていくために漫画を描く」

第2章「生きていくために漫画を描く」
転機となったのが『テルマエ・ロマエ』です。同人誌に描いた『VICTORIA』で、「まじめなローマ人たちに変なことをさせると面白い」という手応えを得たヤマザキ。シリア・ダマスカスで、古代ローマの遺跡に人々が暮らす光景を見た経験も、作品の発想へとつながりました。
第3章では『オリンピア・キュクロス』『プリニウス』をはじめ、ルネサンスの画家たちを描いた『リ・アルティジャーニ』なども紹介。旅先での出会いや体験、美術史の知識が結びつき、時代も地域も越境する独自の世界が広がっていきます。

第3章「出会いと体験が広げる表現世界」

第3章「出会いと体験が広げる表現世界」
ヤマザキの表現は漫画だけにとどまりません。漫画を描く際にも、まず「文章を書く」ことから始めるといい、専門家との共著や雑誌などでの連載、文章とイラストを組み合わせたエッセイも数多く手がけています。
世界各地で暮らし、移動してきた自身の経験から語られるのは、国や地域といった境界にとらわれない視点です。自分のいる場所から地球、さらに宇宙へ――。〈地球サイズ〉へと視野を広げるヤマザキの考え方が、文章からも伝わってきます。

第4章「文章と絵で〈地球サイズ〉の視点を綴る」

第4章「文章と絵で〈地球サイズ〉の視点を綴る」
第5章「職人として絵を描く」では、画家としてのヤマザキに注目します。イタリアでは数多くの模写を重ね、絵画修復にも携わりながら油彩画を制作。漫画家になってから一時はカンヴァスを離れましたが、ミュージシャン・山下達郎との交流をきっかけに、約20年ぶりに肖像画制作を再開しました。
油彩画から漫画、エッセイの挿絵まで、描かれた人物からは性格や雰囲気まで伝わってくるようです。ヤマザキ自身が「芸術家であるよりも、絵を描く職人として」と語るように、ジャンルを越えて描き続ける姿勢が表れています。

第5章「職人として絵を描く」

第5章「職人として絵を描く」
今回の展示についてヤマザキは、自分のポケットの中身をすべて出して見せるようなものだと表現。会場には『テルマエ・ロマエ』以前の作品をはじめ、幼少期の絵や普段読んでいる本、自作の服、仕事場の再現など、これまで表に出ることの少なかった資料も並びます。ヤマザキ自身も、それらを『テルマエ・ロマエ』へ至る大きな土台だったと振り返っています。
タイトルに掲げられた「Carpe Diem」は「今この瞬間を生きる」の意。ひとつの場所や価値観にとどまらず、目の前の経験を次の表現へとつなげてきた、その歩みそのものをたどる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年10月2日 ]