19世紀イタリアの風景画家、アントニオ・フォンタネージ(1818–1882)。日本では、明治政府に招かれ、浅井忠や小山正太郎らに西洋画を教えた「お雇い外国人」として知られています。
しかし、その画業は日本での約2年間にとどまりません。ヨーロッパ各地で風景画を追究したフォンタネージの日本初となる大規模回顧展が、10月17日から三菱一号館美術館で開催されます。初期から晩年までの作品に、日本の弟子たちや後世のイタリア人作家の作品も加え、約200点でその全貌に迫ります。

三菱一号館美術館「フォンタネージ――イタリアの光・心の風景」会場入口
第1章「『絵画』としての風景」では、1850~1860年頃の初期作品を紹介します。フォンタネージは、実際の風景を写し取るだけでなく、自然を一枚の絵画としてどのように構成するかを模索しました。
スイスやサヴォワ地方の風景を題材に、木立や山、空、水辺などを組み合わせながら、独自の風景表現の基礎を築いていきます。

第1章「絵画」としての風景 1850–1860
第2章「心をうつす風景」では、1855~1875年頃の作品を取り上げます。フォンタネージの関心は、目の前の自然を描くだけでなく、そこに自身の感情や気分を映し出すことへと広がっていきました。
静かな朝や重い雲、荒涼とした土地。光や大気の微妙な変化を捉えた風景には、画家の内面を感じさせる詩情が漂います。

第2章「心をうつす風景」 1855–1875
この章で注目したいのが、本展のメインビジュアルにも使われている《朝》です。淡い光に包まれた風景のなかに、木々や水辺が静かに広がります。
細部を克明に描くのではなく、光や大気が生み出す風景全体の雰囲気を重視した作品。フォンタネージが追究した、心に響く風景のあり方がうかがえます。

アントニオ・フォンタネージ《朝》1855–58年 トリノ市立近現代美術館
第3章「都市の風景」では、自然とは異なる画家の一面が見えてきます。フォンタネージにとって、街路や建築物が並ぶ都市も重要な題材でした。
ジュネーヴやロンドン、フィレンツェなど、ヨーロッパ各地で描いた街並みや市場の風景からは、旅を重ねた画家の視線と、19世紀の都市の姿が浮かび上がります。

第3章「都市の風景」 1854–1880
第4章「日々の仕事と自然」では、農村で働く人々や羊飼い、牛など、自然のなかにある人間の営みに目を向けます。
フォンタネージは、労働する人々を風景のなかに溶け込ませるように描きました。穏やかな農村の情景には、人と自然がともにある日常の時間が表れています。

第4章「日々の仕事と自然」 1860–1875
第5章「一瞬の光を描いて」では、夕暮れや赤く染まる空、水面に差し込む光など、刻々と変化する自然の表情を捉えた作品が並びます。
同じ場所でも、時間や天候によって風景の印象は大きく変わります。移ろう光と大気を描こうとする姿勢に、フォンタネージの探究心が感じられます。

第5章「一瞬の光を描いて」 1867–1880
第6章「日本での制作と教育」では、フォンタネージと日本近代洋画の関わりを取り上げます。1876年、58歳で来日したフォンタネージは、工部美術学校で西洋画の指導にあたりました。
会場には、日本で制作した本人の作品に加え、浅井忠や小山正太郎ら学生たちの作品も展示。自然を観察し、光や陰影を捉える西洋画の技法が、日本の若い画家たちにどのように伝えられたのかを知ることができます。

第6章「日本での制作と教育」 1876–1878
第7章「晩年の作品」では、日本を離れてトリノに戻った後の制作を紹介します。フォンタネージは帰国後も風景画に向き合い、独自の表現を深めていきました。
晩年の作品では、光や雲、大気をより大胆に捉えるようになります。細部の描写よりも、自然がもたらす感覚や印象を重視した画面が特徴です。

第7章「晩年の作品」 1878–1881
第8章「フォンタネージの遺産」では、その表現が後世のイタリア美術に与えた影響をたどります。
メダルド・ロッソやカルロ・カッラなど、次世代の芸術家たちの作品が登場。フォンタネージの風景画に見られた光や大気への関心が、その後の美術へとつながっていく様子を見つめます。

第8章「フォンタネージの遺産」 1872–1928
東京展では、展示室のスペースなどの事情から、本来は第5章で紹介される《四月》と、第7章に位置づけられる《雲》が、1階の小展示室で公開されています。ここには特別章「フォンタネージ《四月》と《雲》、そして日本近代洋画」が設けられています。
特別章では、フォンタネージの代表作《四月》《雲》とともに、浅井忠、黒田清輝、藤島武二、中澤弘光、山本鼎らの作品を紹介。日本近代洋画における風景表現の広がりにも目を向けます。
1873年の《四月》は、縦約1.7メートル、横約2.5メートルに及ぶ大作。穏やかな光に包まれた風景には、静かな詩情が漂います。
明るい外光表現を取り入れた黒田清輝らに対し、フォンタネージに学んだ浅井忠らの黄褐色を基調とする画風は「脂派(やには)」と呼ばれました。特別章では、こうした異なる風景表現を比較して見ることができます。

アントニオ・フォンタネージ《四月》1873年 トリノ市立近現代美術館
第7章に位置づけられる1880年制作の《雲》は、縦2メートル、横約3メートルの大画面を巨大な雲が覆う作品です。
地上に広がる風景を圧倒するような雲の存在感は、晩年のフォンタネージが追究した光と大気の表現を印象づけます。
特別章には山本鼎や藤島武二らの作品も並び、雲というモティーフや風景の構成に対する関心が、日本の画家たちの間でどのように展開したのかを見ることができます。

アントニオ・フォンタネージ《雲》1880年 トリノ市立近現代美術館
「日本に西洋画を教えた外国人」というイメージだけでは捉えきれないフォンタネージ。展覧会から見えてくるのは、自然の光や大気、人々の営みに目を凝らし、生涯にわたって理想の風景を求め続けた画家の姿です。
《朝》から《四月》、そして巨大な《雲》へ。作品を通してその画業を振り返るとともに、日本近代洋画とのつながりも知ることができる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年10月16日 ]