藤原定家が後鳥羽上皇の熊野御幸に随行した際の記録として知られる国宝《熊野御幸記》。その全巻が、三井記念美術館で久しぶりに公開されています。
あわせて、茶人に愛された“定家様”の書を伝える茶道具や箱書、百人一首かるた、歌仙絵、さらに重要文化財《東福門院入内図屏風》なども紹介。宮廷文化から近世まで連なる受容の歴史が浮かび上がります。

三井記念美術館「国宝 熊野御幸記と藤原定家の書 ―茶道具・かるた・歌仙絵とともに―」会場
小倉色紙は、定家の日記『明月記』に記された依頼に基づく作とされ、百人一首成立と深く結びつけて語られてきました。ただし、その成立や真筆性については現在も研究が続いています。
《小倉色紙「うかりける…」》は、源俊頼の和歌を書した一点で、晩年の定家らしい枯淡の筆致が見どころです。前田利家、伊達政宗らを経て伝来し、名品として珍重されてきた歴史もあわせて紹介されます。

《小倉色紙「うかりける…」》藤原定家筆 前田利家・伊達政宗所持 鎌倉時代・13世紀 北三井家旧蔵
《藤原定家画像 和歌色紙形》は、本展で初公開となる肖像画です。藤原信実筆と伝えられ、定家像の系譜を知る上で重要な作例とされています。
冷泉家に伝わる鎌倉時代の定家像をもとに制作されたと考えられ、後世に写された二幅とともに三幅一組として伝えられてきました。定家像がどのように受け継がれてきたかを示す貴重な資料です。

《藤原定家画像 和歌色紙形》伝藤原信実筆 江戸時代・17世紀 北三井家旧蔵
熊野御幸は、上皇や法皇が熊野三山を参詣する行事で、院政期にはたびたび行われました。本展の白眉である《熊野御幸記》は、後鳥羽上皇の四度目の参詣に随行した定家が記した旅日記です。
建仁元年(1201)十月の二十三日間に及ぶ行程が詳細に記され、近年の修理によって、途中から紙背に記されていたことも明らかになりました。移動と祈りの日々を伝える第一級の史料です。

国宝《熊野御幸記》藤原定家筆 鎌倉時代・建仁元年(1201) 北三井家旧蔵
《大嘗会巻》は、定家が『小右記』に記された長和元年(1012)の大嘗会の記録を書写したものです。一代一度の大祭に伴う複雑な儀式の様子が克明に伝えられています。
定家独特のくずし字や略字が多く、読み解きは容易ではありませんが、後世に故実を伝えようとした定家の姿勢がうかがえます。書写資料としても重要な位置を占める作品です。

《大嘗会巻》藤原定家筆 鎌倉時代・12〜13世紀
百人一首や小倉色紙の成立については、現在では複数の説が存在します。一方で、室町から江戸時代にかけて定家の百人一首が広く普及し、文化として定着していった事実も重要です。
名家に伝えられてきた小倉色紙や、庶民文化として親しまれたかるたは、その受容の歴史を今に伝えます。研究の進展を踏まえつつ、文化財として味わう姿勢が問われています。

《百人一首かるた》絵 山口素絢筆 文字 鈴木内匠筆 江戸時代・18~19世紀 北三井家旧蔵
重要文化財《東福門院入内図屏風》は、徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇に入内した際の行列を描いた作品です。もとは絵巻と考えられ、人物描写の細やかさに記録性が感じられます。
後に「東福門院」と号した和子の華やかな行列は、江戸初期の宮廷文化と政治的背景を今に伝えます。和歌の世界と並び、時代の空気を映す重要な作品です。

重要文化財《東福門院入内図屏風》江戸時代・17世紀 北三井家旧蔵
和歌が時代を超えて生き続けてきたことを実感させてくれる本展。古典文学と美術が交差する豊かな世界を、お楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年12月5日 ]