平安前期の歌人・在原業平(825~880)。『伊勢物語』の主人公として理想化された貴公子像を後世に伝えました。
三井記念美術館で開催中の「生誕1200年 歌仙 在原業平と伊勢物語」は、文学と美術における業平像の形成と受容の過程をたどる展覧会です。『古今和歌集』や『伊勢物語』を軸に、絵画・工芸・茶道具など多分野の作品を通して、物語世界がどのように造形化されてきたかを検証します。

三井記念美術館「生誕1200年 歌仙 在原業平と伊勢物語」会場入口
冒頭に展示されている重要文化財《三十六歌仙図額 在原業平像》は、仙波東照宮に伝来した歌仙図の一面。武官姿の業平を描いた作例です。金泥地に和歌を記す構成が、歌人像と物語的イメージの結びつきを示します。
江戸初期の絵師・岩佐又兵衛の筆と判明しており、制作年が明らかな同作家の作品としても重要です。

重要文化財《三十六歌仙図額 在原業平像》岩佐又兵衛 江戸時代 寛永17年(1640)仙波東照宮
展示室1では『伊勢物語』125段の中から主要章段を選び、絵巻や工芸品、遊戯具など多様な形式で表された場面を紹介されています。文学作品が視覚化され、生活文化に浸透していく過程が見えてきます。
第23段「筒井筒」をめぐっては、蒔絵硯箱やかるた、合貝などが並び、幼なじみの恋の物語が多様な造形に置き換えられてきたことを示します。

(左から)《九曜紋筒井筒蒔絵硯箱》江戸時代 18世紀 大阪市立美術館 / 《伊勢物語かるた 第23段1 「筒井筒」》江戸時代 18世紀 和泉市久保惣記念美術館 / 《合貝(伊勢物語図) 第23段1 「筒井筒」》江戸時代 18世紀 和泉市久保惣記念美術館
茶の湯の世界でも業平にちなむ銘が用いられ、《伊賀耳付花入 銘業平》は桃山陶の力強い造形を伝える作例です。破格の美を尊ぶ織部好みを反映したとされ、文学的人物像が茶道具の命名に取り込まれたことを示します。
近代数寄者の間で名品として継承され、銘の変遷からも近世以降の受容史を読み取ることができます。

《伊賀耳付花入 銘業平》桃山時代 16~17世紀 三井記念美術館
伊勢物語を絵画化した「伊勢絵」は中世以降に盛んとなり、本展ではその展開もたどります。《伊勢物語図貼付屏風》は版本をもとに36場面を配した作で、物語理解の標準化と図像の普及を示す作品です。
詞書と画面の配置に見られる様式の統一は、物語享受が出版文化と結びついていたことを物語ります。

《伊勢物語図貼付屏風》江戸時代 17世紀 和泉市久保惣記念美術館
《伊勢物語図色紙 第82段1 「渚の院の桜」》は、惟喬親王との花見の場面を描いたものです。蛇行する桜を中心に人物を配する平面的構図や、たらしこみによる色彩表現に琳派風の装飾性が認められます。
業平の姿と返歌を併記することで、和歌と絵画が一体となった鑑賞形式が成立していたことが分かります。

《伊勢物語図色紙 第82段1 「渚の院の桜」》伝俵屋宗達 江戸時代 17世紀 個人蔵
工芸分野では、物語の章段を意匠化した硯箱も紹介されます。《高杯に海松図蒔絵螺鈿硯箱》は第87段にちなむ図様を配し、蒔絵と螺鈿を組み合わせた華やかな装飾が特徴です。
器物の表面に和歌の断片を散らす手法から、文学的教養が美術工芸の装飾理念として機能していたことが読み取れます。

《高杯に海松図蒔絵螺鈿硯箱》江戸時代 17世紀 和泉市久保惣記念美術館
尾形乾山の《色絵竜田川図向付》は、第106段「龍田川」の歌を想起させる意匠で、琳派における伊勢物語受容を示す作例です。変形した器形と鮮やかな上絵付けが、和歌の情景を食器へと転換しています。
文学・絵画・工芸を横断する主題として伊勢物語が機能していたことを示し、江戸文化における古典受容の広がりを象徴します。

尾形乾山《色絵竜田川図向付》江戸時代 18世紀 大和文華館
実在の歌人としての業平と、物語によって形成された理想像との重なりを、多様な作品を通じて検証する機会。文学が視覚文化へと展開し、時代ごとに再解釈されてきた過程を一望できる展覧会です。
古典がいかにして日本文化の基層を形づくってきたかを、具体的な造形を通して感じてください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年2月20日 ]