鏡のように周囲を映すステンレス、光を透過するアクリル、きらめきを生み出すガラス――。戦後日本の抽象彫刻を代表する多田美波(1924–2014)は、新しい素材や技術を取り入れながら、「光」そのものを造形の中心に据えてきました。
没後初となる大規模な回顧展が、東京都現代美術館で開催中。約70年にわたる活動を振り返ります。

東京都現代美術館「多田美波―光、凛と ゆれる」会場入口
多田美波は1924年、父の赴任先である台湾・高雄で誕生。4歳からは京城(現ソウル)で暮らし、そこで目にした大陸の雄大な自然は、後の制作にも大きな影響を与えたといいます。
京城第一高等女学校時代から油彩画の指導を個人的に受け、朝鮮美術展覧会にも出品。女子美術専門学校(現・女子美術大学)でも油彩画を専攻し、戦後は二科展、読売アンデパンダン展へと活動の場を広げていきました。
![東京都現代美術館「多田美波―光、凛と ゆれる」会場より (左から)多田美波《発電所》1958年 / 多田美波《発電所L》1957年 / 多田美波[題不詳]制作年不詳](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2026/08/31/bc2c3b5cead9.jpg)
(左から)多田美波《発電所》1958年 / 多田美波《発電所L》1957年 / 多田美波[題不詳]制作年不詳
1960年頃になると独学で立体造形にも取り組み、《発祥》で二科展特選を受賞。平面から立体へと表現を大きく展開させていきました。
アルミニウムの制作では「指紋をつけたくない。手の痕跡を拭いたい」という思いから、表面を叩いて独自の「皺」をつくる手法を考案。作家の手跡を前面に出すのではなく、素材から自然な表情を引き出す姿勢は、その後の制作にも受け継がれていきます。

(左から)多田美波《虚》1960年 / 多田美波《発祥》1960年 / 多田美波《作品 61-a》1961年
彫刻と並行して、多田が早くから取り組んだのが照明です。1961年に国際見本市で作品を発表し、その後も照明器具やブラケットを制作。多田自身は、これらを「光の彫刻」として捉えていました。
アクリルの切断面から光を導くエッジライティングや、表面を加工して光を拡散させる技法、光源を直接見せない構造などを駆使。明るさだけを求めるのではなく、人の精神に寄り添う光を模索しました。

(左から)多田美波《ボーンチャイナライト》1976年 / 多田美波《スノーバレル》1962年 / 多田美波《パイプランプ》1964年
多田にとって、石や木はそれ自体がすでに自然の作品であり、その美を侵しがたいものと考えていました。そこで積極的に選んだのが、アルミニウムやアクリル、ステンレス、ガラスなどの工業素材です。自身のイメージを実現するために、必要な素材を選んでいきました。
1960~70年代には、アルミニウムを真空蒸着して鏡面効果を持たせたアクリル作品を数多く制作。鑑賞者や周囲の景色が作品に映り込み、光だけでなく、作品を取り巻く空間そのものを取り込む表現へと発展していきました。

多田美波《Phase-Space 6943》1969年
![東京都現代美術館「多田美波―光、凛と ゆれる」会場より (手前)多田美波《オートシンクローネ》1973年 / 2026年 / (壁面奥左)多田美波《周波数37306505》1965年 / (壁面奥右)多田美波[周波数373050シリーズ]1964年](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2026/08/31/a5be5f9d28c6.jpg)
(手前)多田美波《オートシンクローネ》1973年 / 2026年 / (壁面奥左)多田美波《周波数37306505》1965年 / (壁面奥右)多田美波[周波数373050シリーズ]1964年
1960年代以降、多田の活動を大きく広げたのが野外彫刻です。宇部市の現代日本彫刻展などに参加。1979年には、彫刻の森美術館の第1回ヘンリー・ムーア大賞展で《極》が大賞を受賞しています。
野外へと進出したことで、作品も正面から見るものから、あらゆる方向から鑑賞するものへと変化。耐久性に優れたステンレスやガラスを用いるなど、素材と構造の両面から新たな表現を切り開きました。

多田美波《スペース》2009
約70年に及ぶ活動のなかで、多田は美術館だけでなく、建築や都市、自然のなかにも数多くの作品を残しました。それだけに、作品をどのように守り、次世代へ伝えていくかも重要なテーマになっています。
各地の野外作品では、清掃や点検、積雪への対策など、それぞれの環境に応じたケアが続けられています。

(手前)多田美波《Mirage》1989
多田の仕事を象徴するのが、自ら「光造形」と名付けた作品群です。主に天井から吊り下げたり、建築と一体化したりする作品で、内部に光源を持ち、空間そのものに光を広げていきます。
多田が目指したのは、強く照らして空間を支配する光ではありません。アクリルやガラスと人工の光を組み合わせ、影も光の階調の一部として取り込みながら、自然光にも似た奥行きや揺らめきを生み出しました。

多田美波《光造形》1965年 / 2026年
多田が好んだ言葉に、老子の「光而不耀(ひかりてかがやかず)」があります。内に光を持ちながら、それをひけらかさないという意味です。月光やろうそく、篝火のように、静かに変化しながら空間に働きかける光は、多田が追い求めた造形そのものとも重なります。

多田美波《チェーンデリア》1963年 / 2026年

多田美波《光造形 瑞雲》1973年 / 2026年
絵画から彫刻へ、さらに照明、建築、公共空間へ。多田美波は素材やジャンルの境界を越えながら、一貫して光と空間の関係を探り続けました。
多田が追い求めた「光」の豊かな広がりを体感できる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年8月28日 ]