1872年の湯島聖堂博覧会から、2025年の大阪・関西万博まで。博覧会という場で、アイヌ民族はどのように見られ、また自らをどのように見せてきたのでしょうか。
差別や偏見を含むまなざしのもとで行われた「人間展示」から、戦後の変化、そしてアイヌ民族自身が主体的に文化を発信する現在まで。約150年にわたるその関係を、工芸品や写真、絵はがき、書簡、衣装、映像など約200点からたどる展覧会が、国立歴史民俗博物館で開催中です。

国立歴史民俗博物館「アイヌ民族と博覧会 ―150年の経験―」会場入口
展覧会は4章構成。1章「アイヌ工芸品展示の草創期から博覧会へ」では、江戸後期から明治期にかけて、アイヌ工芸品がどのように展示されるようになったのかをたどります。
明治政府が北海道「開拓」と同化政策を進めるなか、博覧会では北海道の物産が「開拓」の成果を示すものとされ、アイヌ民族の衣服や道具もその枠組みの中に組み込まれていきました。

1章「アイヌ工芸品展示の草創期から博覧会へ」
明治14年(1881)、東京・上野公園で開かれた第二回内国勧業博覧会には82万人を超える人々が訪れ、出品数、入場者数ともに第一回を上回りました。
アイヌ関連では、開拓使札幌本庁から「厚子」「キナ莚」などが出品されたほか、対雁に移住した樺太アイヌによる工芸品や漁網類も並びました。対雁からは10名が博覧会の見学に訪れています。

《第二回内国勧業博覧会観場必携》1881(明治14)年 国立歴史民俗博物館
第2章「アイヌ民族の出場」では、近代の博覧会における「人間展示」という問題に目を向けます。アイヌ民族が初めて出場したのは、1903年の第五回内国勧業博覧会の場外余興「人類館」でした。
その後も国内外の博覧会で、生身の人間やその暮らしを観覧の対象とする展示が行われました。一方で、自らの文化を広めようと参加したアイヌ民族もおり、「見る側/見られる側」だけでは捉えきれない複雑な関係がありました。

2章「アイヌ民族の出場」
大正元年(1912)、上野公園で開催された「拓殖博覧会」では、台湾、朝鮮、樺太、関東州、北海道などの産物や人類学標本が展示されました。
会場には北海道アイヌや樺太アイヌ、台湾原住民族などの家屋も建てられ、実際に人が暮らす「人間展示」が行われました。当時の広告からも、彼らがどのような視線のもとで紹介されていたのかが見えてきます。

(左から)《坪井正五郎のデザイン案をもとにつくられた広告》1912(大正元)年 国立アイヌ民族博物館 / 《坪井正五郎のデザイン案をもとにつくられた広告》1912(大正元)年 (株)乃村工藝社
戦後になっても、アイヌ民族を「エキゾチック」な存在として捉えるまなざしは残りました。
栗谷川健一による《札幌オリンピック招致ポスター》は、伝統的な衣装を着たアイヌ民族の男性を描いて話題となる一方、その表現には批判も起こりました。

栗谷川健一《札幌オリンピック招致ポスター》1966(昭和41)年 国立アイヌ民族博物館
第3章「アイヌ文化を見せていく時代」では、第二次世界大戦後の変化を追います。戦後の地方博覧会でも、当初はアイヌ民族の「原始」性を強調する展示が見られました。
やがて、何をどのように見せるのかを、アイヌ民族自身が企画する動きが生まれます。博覧会におけるアイヌ文化の位置づけも少しずつ変化していきました。

3章「アイヌ文化を見せていく時代」
昭和33年(1958)の「北海道大博覧会」は、北海道の開発の現況を紹介し、産業や貿易の発展を図ることを目的に札幌と小樽で開催されました。
約259万人が来場し、博覧会を契機に札幌天文台や小樽の水族館が建設されるなど、観光や都市整備にも大きな影響を与えました。

栗谷川健一《北海道大博覧会ポスター》1958(昭和33)年 (株)乃村工藝社
大きな転換を示すのが、昭和63年(1988)の「世界・食の祭典」です。札幌の月寒会場には「アイヌ民族生活文化館(アイヌモシリ館)」が設けられました。
アイヌ民族有志による実行委員会が運営し、自らの手でアイヌ文化を紹介。博覧会という場で、アイヌ民族が主体となって文化を表現した画期的な試みでした。

川村則子《ミンタラ》1988(昭和63)年 公益社団法人北海道アイヌ協会
第4章「アイヌ民族と博覧会のゆくえ」は、現在へとつながります。令和元年(2019)には法律上で初めてアイヌ民族が先住民族と明記され、翌年には北海道白老町に民族共生象徴空間「ウポポイ」が開業しました。
2025年の大阪・関西万博では、アイヌ民族による舞踊公演や展示も実施。「見られる」対象から、自ら文化のあり方や見せ方を考え、発信する方向へと大きく変化しています。

4章「アイヌ民族と博覧会のゆくえ」
博覧会という「見せる場」を通して振り返る、アイヌ民族と社会の約150年。そこから浮かび上がるのは、展示する側のまなざしだけでなく、その場に関わったアイヌ民族一人ひとりの経験です。
「見られる」側から「見せる」側へ。その変化と、現在も残る葛藤の双方から、アイヌ文化をめぐるこれからを考える展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年10月5日 ]