近代日本洋画に本格的な写実表現を導入した画家、鹿子木孟郎(かのこぎ たけしろう:1874〜1941)。天彩学舎や不同舎で基礎を学び、パリ留学を通じてジャン=ポール・ローランスに師事し、古典派写実を深く修得しました。
初期から渡欧期、帰国後の制作までの作品約130点で、その足跡と写実表現の展開を検証する展覧会が、泉屋博古館東京で開催中です。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場入口
鹿子木孟郎は岡山の旧岡山藩士の家に生まれ、14歳で松原三五郎の天彩学舎に入門しました。18歳で上京後は小山正太郎の不同舎で学び、「ただ一本の線」を重視する素描を徹底的に鍛え、写実表現の基盤を築いていきます。
《野菜図》は14歳時の作で、蔬菜それぞれの質感を丁寧に描き分けた静物画です。若年ながらも対象を的確に捉えようとする観察眼がうかがえます。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より 鹿子木孟郎《野菜図》1888(明治21)年 府中市美術館(前期展示)
不同舎入門後、鹿子木の画風は大きく変化します。線遠近法に基づいた広がりのある空間表現を身につけ、東京北部や武蔵野を描いた素描を数多く残しました。
同じ場所を描いた作品が複数ある中でも、鹿子木の素描は輪郭線の的確さと、構図を支える簡潔な線の美しさが際立っています。「たった一本の線」への意識を、自身の表現として昇華させた成果といえるでしょう。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より (上から)鹿子木孟郎《本郷区根津 寺遠望》1893(明治26)年 府中市美術館 / 鹿子木孟郎《駒込動坂上り口》1892(明治25)年 府中市美術館(いずれも前期展示)
1900(明治33)年、鹿子木は満谷国四郎らとともに渡米し、各地で展覧会を開催します。作品売却による収益をもとに、ロンドン経由でパリへと向かいました。
パリではアカデミー・ジュリアンに入り、ジャン=ポール・ローランスの教室で人体デッサンと油彩裸体写生に没頭します。古典模写や肖像習作を通じて、写実表現は一層深化していきました。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より (左から時計回り)鹿子木孟郎《裸婦習作(立像)》1902(明治35)年 岡山県立美術館 / 鹿子木孟郎《男性裸体スケッチ(椅子)》1902(明治35)年 個人蔵 / 鹿子木孟郎《男裸体習作(背面)》1902(明治35)年 岡山県立美術館(すべて前期展示)
《〈泉〉模写》は、アングル晩年の代表作を原画とする模写で、均整の取れた人体や皮膚、水の質感を丹念に追究しています。
住友家からの留学支援に応えるために自ら課した模写制作の一環であり、古典に学びながら描写力を徹底的に鍛える鹿子木の姿勢をよく示しています。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より 鹿子木孟郎《〈泉〉模写》(原画:アングル作)1901〜03(明治34〜36)年頃 泉屋博古館東京(前期展示)
1904(明治37)年に帰国後、京都を拠点に制作と教育活動を展開し、画壇での地位を確立します。1906年には再び渡仏し、油彩裸体や群像表現の研究に専心しました。
その成果として描かれた《ノルマンディーの浜》は、漁夫一家の日常を重厚な写実で描いた大作です。西洋的構成に本格的に挑んだ作品として高く評価されました。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より 鹿子木孟郎《ノルマンディーの浜》1907(明治40)年 泉屋博古館東京
帰国後は関西洋画壇の中心的存在となり、1915(大正4)年には3度目の渡仏。象徴主義画家ルネ・メナールとの交流も表現の幅を広げる契機となりました。
《加茂の競馬》は、京都・上賀茂神社の神事を題材に、複数の人物と馬が交錯する場面を描いた作品です。緻密な遠近法と明暗法により、複雑な構図を破綻なくまとめ上げています。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より 鹿子木孟郎《加茂の競馬》1913(大正2)年 株式会社三井住友銀行(泉屋博古館東京寄託)
1918(大正7)年以降、鹿子木の表現は精神性を帯び、象徴的な方向へと深化していきます。写実に根ざしながら、自然や歴史の背後にある意味を構想的に捉えようとしました。
関東大震災を描いた《大正12年9月1日》では、記録者としての使命感と、大画面に多数の人物を配する構成力が結実しています。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より 鹿子木孟郎《大正12年9月1日》1924(大正13)年 東京都現代美術館
晩年には裸婦や風景を繰り返し描き、私的感情の表出を抑えつつ、普遍的な構成を重視する姿勢を貫きました。《浴女》や《裸婦》では、西洋の画題を日本の自然の中に置き換えています。
身体の量感や曲線を的確に捉えながら、静かな精神性を湛えた画面が特徴で、写実と象徴の融合がより洗練されたかたちで示されています。

泉屋博古館東京「生誕151年からの鹿子木孟郎 ― 不倒の油画道」会場より (左から)鹿子木孟郎《浴女》1934(昭和9)年 岡山県立美術館 / 鹿子木孟郎《裸婦》 岡山県立美術館
不同舎に因み、自らを「不倒」と名乗った鹿子木孟郎。その雅号が示す通り、鹿子木孟郎は流行や権威に迎合することなく、写実の信念を生涯にわたり貫きました。
その揺るぎない姿勢と、時代や社会と向き合い続けた画業の全体像をあらためて見つめ直す展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年1月16日 ]