18世紀に人口100万を超える世界有数の都市だった江戸。さまざまな人が集まり、多様な文化が生み出されました。
江戸東京博物館では、都市としての江戸の魅力に焦点を当て、人々の生活や価値観を多角的に紹介する「特別展 大江戸礼賛」がスタート。
多様な資料を通して、江戸という都市が持っていた活力と文化的広がりを具体的に紹介します。

江戸東京博物館「特別展 大江戸礼賛」会場入口
徳川家康が慶長8年(1603)に幕府を開くと、江戸は政治の中心地となりました。全国の大名や、その家臣が集まり、江戸城を中心に武家屋敷が立ち並ぶ都市が形づくられていきました。
明暦3年(1657)の大火後には、武家屋敷の移転や火除地の整備など都市の再編が進みます。江戸城の天守は再建されませんでしたが、泰平の世を象徴する中心として存在し続けました。

江戸東京博物館「特別展 大江戸礼賛」会場
会場を進むと、甲冑師の一大門流である明珍派の具足が並びます。明珍宗保による《紺糸素懸威五枚胴具足》は、紺糸で板札をつなぎ、菊花文の金具を細やかに施しています。
その養子と伝わる宗周の《萌黄匂威腹巻具足》は、新収蔵の作品。革札仕立ての腹巻と大袖を備え、金物には鍍金梅樹文の透彫が施されるなど、華やかな意匠が目を引きます。

(左から)《紺糸素懸威五枚胴具足》明珍宗保/作 天保15年(1844)8月 / 《萌黄匂威腹巻具足》明珍宗周/作 安政3年(1856)4月
《御誕生人形》は、産所の様子をミニチュアで再現した人形と道具類です。白地の布団に寝る赤子、世話をする官女、厄除けの役割を持つ天児など、16点で構成されています。
箱蓋の墨書から、第11代将軍徳川家斉の正室・寔子から、徳川斉彊の正室・豊子へ譲られたものと推測されます。類例の少ない、新収蔵の資料です。

《御誕生人形》江戸後期頃
江戸開府以降、城や武家屋敷の建設、日々の消費を支えるため、多くの職人や商人が集まりました。18世紀初頭には、武家と町人をあわせて人口100万を超えたと推定されています。
経済力を持つ町人が登場すると、武家の文化や慣わしも広く浸透していきます。花見や川遊び、寺社の開帳、見世物興行に加え、相撲も人気を集めました。

江戸東京博物館「特別展 大江戸礼賛」会場
《吉原遊女図》では、精巧な鶴の燈籠を吊るした茶屋の前に、花魁と二人の禿が描かれています。孔雀の羽をあしらった薄物の夏衣と花菖蒲の団扇が、吉原の夏の趣を伝えます。
画面には、宝井其角の句「闇の夜はよし原ばかり月夜かな」が添えられています。闇夜の江戸のなかで、吉原だけが月夜のように輝くという句意が、遊里の華やぎを重ねています。

《吉原遊女図》歌川豊春/画 谷文晁/賛 天明-寛政年間(1781-1801)
木造家屋が密集した江戸では、火災が都市の大きな脅威でした。江戸城や武家屋敷を守る武家火消、町屋を管轄する町火消など、役割に応じた消防組織が整えられていきます。
当時の消防は、燃え移りそうな家屋を壊して延焼を防ぐ破壊消火が中心でした。火事場は火消たちの矜持がぶつかる場でもあり、勇みや争いを含む都市文化の一面が見えてきます。

江戸東京博物館「特別展 大江戸礼賛」会場
《江戸花夜の賑》は、人気の歌舞伎役者を町火消に見立てたシリーズです。火の粉が舞う夜の闇を背に、色鮮やかな刺子半纏をまとった役者たちが描かれています。
絵師は歌川国芳門下の歌川芳艶。役者の華やかさと火消の勇壮さが重ね合わされ、江戸の人々が憧れた「いなせ」な人物像が浮かび上がります。

《江戸花夜の賑》歌川芳艶/画 万延元年(1860)
江戸では、西洋の知識への関心も広がっていきました。第8代将軍徳川吉宗が享保5年(1720)に禁書を緩和したことで、医学や博物学などの分野で蘭学を志す人々が現れます。
平賀源内は本草学や物産会、エレキテルの復元など多方面に関心を広げました。杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳は、新たな知を求める熱気を象徴する成果です。

(左から)『蘭学事始』杉田玄白/著 杉田廉卿/序 文化12年(1815)成立 明治2年(1869)刊 / 『解体新書』序・図 ヨハン・アダム・クルムス/原著 杉田玄白・前野良沢・中川淳庵・桂川周ほか/訳 安永3年(1774)刊
酒井抱一は、尾形光琳に私淑し、江戸に新たな琳派の流れを生み出した絵師です。姫路藩主酒井家の子息でありながら、出家後は文化活動に専心しました。
活動の拠点となった「雨華庵」には、弟子や文人、職人らが集いました。京の雅を受け継ぎながら、江戸の町人文化を加えた江戸琳派が、ここで育まれていきます。

江戸東京博物館「特別展 大江戸礼賛」会場
17世紀初頭には、江戸の繁栄を示す「御江戸」という呼称が登場します。18世紀後半には「大江戸」という言葉も使われ、江戸は京や大坂と並ぶ、あるいはそれをしのぐ都市として意識されるようになりました。
参勤交代の武士や地方商人など、外から来た人々が多く暮らす一方で、江戸生まれの人々の間には「江戸っ子」の意識も育ちます。都市の繁栄は、住む人々の誇りと結びついていきました。
《東都名所 高輪二十六夜待遊興之図》は、月の出を待って拝む二十六夜待ちの賑わいを描いた作品です。高輪の海岸には、寿司や天ぷら、団子などの屋台が並びます。
夜の行事でありながら、画面には明るい熱気が満ちています。仮装する人々の姿も見え、信仰と娯楽が重なり合う、江戸の都市文化の豊かさが伝わります。

《東都名所 高輪二十六夜待遊興之図》歌川広重/画 天保3-13年(1832-42)頃
武家の格式、町人の娯楽、火消の気風、蘭学への好奇心、江戸琳派の美意識まで、江戸という都市を多方面から照らし出す本展。江戸の繁栄を支えた人々の営みをたどることで、現在の東京へとつながる都市文化の厚みをあらためて感じることができそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年4月24日 ]