ルーシー・リー(1902-1995)は、20世紀を代表する陶芸家です。ろくろから生まれる優雅なフォルム、繊細な文様、そして豊かな釉薬の色彩によって、実用性と芸術性を兼ね備えた独自のうつわを生み出し、現在も世界中で高い評価を受けています。
国内に所蔵される貴重な作品が一堂に集結する展覧会が、東京都庭園美術館で開催中。交流のあった陶芸家たちの作品もあわせて展示し、リーの造形世界と、その背景にある東西文化とのつながりを紹介します。

東京都庭園美術館「ルーシー・リー展―東西をつなぐ優美のうつわ―」 美術館正門横
展覧会の冒頭では、ルーシー・リーの器の特徴をよく示す代表作が並びます。会場となる東京都庭園美術館本館は、1933年に朝香宮家の自邸として建てられたアール・デコ建築です。
リーは学生時代、1925年のパリ現代装飾美術・産業美術国際博覧会(通称:アール・デコ博覧会)に作品を出品していました。同じ博覧会を訪れた朝香宮夫妻が後に建てた旧朝香宮邸で、東西の文化を取り入れたリーの器を鑑賞するという、建築と作品の時代を超えた対話も本展の見どころです。

イントロダクション「ルーシー・リーと旧朝香宮邸 ─ 東西の交流から生まれた芸術 ─」 ルーシー・リー《青釉鉢》1980年頃 井内コレクション(国立工芸館寄託)

1章「ウィーンに生まれて」会場風景

イントロダクション「ルーシー・リーと旧朝香宮邸 ─ 東西の交流から生まれた芸術 ─」会場風景
1938年、リーはナチスの迫害を逃れてウィーンからロンドンへ移住しました。戦時中は陶芸制作が困難になり、色彩や形の多彩な陶製ボタンを作って生計を立てるなど、厳しい時期も過ごしています。
戦後にはハンス・コパーが工房に加わり、互いに刺激を受けながら制作を再開。博物館で見た陶磁器をきっかけに掻き落としを取り入れるなど、釉薬や装飾の研究を深めていきました。ここではロンドン時代のリーに加え、バーナード・リーチとコパーの作品も紹介します。

2章「ロンドンでの出会い」 ルーシー・リー《緑釉格子文楕円鉢》1954年頃 井内コレクション(国立工芸館寄託)

2章「ロンドンでの出会い」 (左から)バーナード・リーチ《スリップ釉耳付鉢》1922年 京都国立近代美術館 / バーナード・リーチ《スリップ釉柳水禽文皿》 1924年 京都国立近代美術館
ロンドンへ渡った当時、イギリス陶芸界の中心にいたのがバーナード・リーチでした。日本で陶芸を学び、柳宗悦や濱田庄司らと深く交流したリーチは、中国や朝鮮を含む東洋の陶磁器に大きな関心を寄せていました。
リーもまた東洋陶磁から多くを学び、1952年のダーティントン国際工芸家会議では柳や濱田と出会い交流はその後も続きました。ここでは、リーが東洋の造形や思想をどのように受け止めたのかをたどっていきます。

3章「東洋との出会い」 (左手前から)濱田庄司《刷毛目珈琲碗セット》1925年 国立工芸館 / 濱田庄司《掻き落とし文大鉢》1923年頃 国立工芸館

3章「東洋との出会い」 (左手前から)ルーシー・リー《ティーポット》1965年 個人蔵(国立美術館寄託) / ルーシー・リー《鉢》1968年 個人蔵(国立美術館寄託) / ルーシー・リー《鉢》1968年 個人蔵(国立美術館寄託)
1967年にイギリスで回顧展が開催されると、リーの名声は世界へと広がりました。1970年代以降は、ウィーン工房や東洋陶磁から受けた影響を取り込みながら、釉薬、形、装飾が一体となった独自の様式を確立していきます。
日本で人気が広がる契機となったのは、三宅一生の企画による1989年の展覧会でした。小さな高台と端正な輪郭、マンガン釉や掻き落としによる繊細な装飾。晩年の作品には、最小限のフォルムに高度な技術と豊かな色彩を凝縮した、リーならではの美意識が表れています。

4章「自らのスタイルへ ─ 陶芸家ルーシー・リー ─」会場風景

4章「自らのスタイルへ ─ 陶芸家ルーシー・リー ─」ルーシー・リー《マンガン釉線文碗》1970年頃 国立工芸館
ウィーンで育まれた感性、ロンドンでの出会い、そして東洋陶磁からの影響。ルーシー・リーは異なる文化を柔軟に取り入れながら、どの潮流にも収まらない自らの造形を築き上げました。
東西をつなぎながら生まれた、静かで凛としたリーの世界に触れられる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年7月3日 ]