ファッションやインテリア、ライフスタイルにまで大きな影響を与えたマリー・アントワネット(1755–1793)。その美意識は、250年以上を経た現在も、ファッションや映画、デザインなどに受け継がれています。
横浜美術館で開催中の「マリー・アントワネット・スタイル」は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)が企画した世界巡回展の日本唯一の開催。18世紀から現代までのドレスやジュエリー、家具、肖像画など約200点を通して、「歴史上もっともファッショナブルな王妃」が生み出したスタイルと、その影響を紹介します。

横浜美術館「マリー・アントワネット・スタイル」
第1章「マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770-1793」では、王妃自身の美意識に迫ります。オーストリア皇女として生まれたアントワネットは、14歳でフランス王太子妃となり、ヴェルサイユ宮廷へ。堅苦しい慣習から距離を取り、衣裳やインテリア、音楽などに自らの好みを反映していきました。
洗練されたそのスタイルは国内外で流行する一方、贅沢の象徴として批判の対象にもなりました。華やかなスタイルの形成から、革命のなかで悲劇的な最期を迎えるまでを、アントワネット時代の品々からたどります。

第1章「マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770-1793」 「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)
大理石の胸像《王妃マリー・アントワネット》は、28歳の王妃をモデルにした作品をもとに、没後に制作されたものです。
穏やかな表情で表された胸像は、19世紀になると室内装飾としても人気を集め、王妃への憧憬が広がっていく象徴となりました。

作者不詳(フェリックス・ルコントの作品による)《王妃マリー・アントワネット》1790–1810年(原作:1783年) リヴァプール国立博物館群レディ・リーヴァー美術館蔵
華やかな《ローブ・ア・ラ・フランセーズ》も見どころのひとつです。花束やつるバラが描かれた絹地には、先染めした糸によって模様を表すシネ・シルクが用いられています。
アントワネットはこの織物を好み、衣裳帖にも数多くのサンプルが残されています。

《ローブ・ア・ラ・フランセーズ》フランス製 1760年代(1770年代に加工)V&A
真珠を好んだ王妃にゆかりのある、天然パール119粒のネックレスも展示されています。
革命の混乱を前に国外へ運ばれた宝飾品は、娘マリー・テレーズらへ受け継がれ、時代に合わせて姿を変えながらブルボン=パルマ家に伝来しました。

《マリー・アントワネット旧蔵の天然真珠とダイヤモンドの3連ネックレス》フランス製 18世紀後半 ハイディ・ホルテン・コレクション、ウィーン
王妃の評判を決定的に傷つけた「首飾り事件」の首飾りの一部と伝わるダイヤモンドは、本展の目玉のひとつ。王妃自身は購入を拒んでいたにもかかわらず、詐欺事件に名前を利用され、民衆の反感を強める結果となりました。
《通称「サザーランド・ダイヤモンド」》は、事件の首飾りから取り外された石である可能性が高いとされるものです。中央の一粒だけでも約15カラットあり、後には英国王室の戴冠式でも用いられました。

《通称「サザーランド・ダイヤモンド」》オリジナルのネックレス:フランス製 1780年代に加工 V&A(2022年に英国政府が相続税として受領後V&Aに分配)
華やかな展示だけでなく、革命期を物語る生々しい資料もあります。《フランス革命で用いられたギロチンの刃》は、アントワネットの処刑に使われたと伝えられるもの。死刑執行人サンソン家からマダム・タッソーの息子たちに渡り、ロンドンで長く展示されてきました。

《フランス革命で用いられたギロチンの刃》フランス製 1791–93年頃 マダム・タッソー・ロンドン・アーカイヴ
処刑後の王妃を型取ったとされる蝋製胸像も、写真で紹介されています。オリジナルは1925年の火災で焼失しましたが、王妃の悲劇的な最期が後世の人々の想像力を刺激し続けてきたことを物語ります。
![横浜美術館「マリー・アントワネット・スタイル」会場より 《斬首後に型取りしたとされるマリー・アントワネットの蝋製胸像の写真[複製]》撮影者不詳 1907年 イメージ提供:フランス国立図書館](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2026/08/31/cb9c7f55578e.jpg)
《斬首後に型取りしたとされるマリー・アントワネットの蝋製胸像の写真[複製]》撮影者不詳 1907年 イメージ提供:フランス国立図書館
第2章「マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800-1940」では、死後につくられていった王妃のイメージに焦点を当てます。19世紀には、ナポレオン3世の皇后ウジェニーをはじめ、王党派の支持者たちがアントワネットのスタイルを懐古しました。
出版物や仮装舞踏会などを通して、そのイメージはひとつの「スタイル」として定着していきます。

第2章「マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800-1940」 「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)
スペインからフランスへ嫁いだウジェニーは、同じく外国から嫁いだアントワネットに心を寄せ、自らのイメージづくりにも王妃のスタイルを参照しました。
ウジェニーが身にまとうのは、オートクチュールの創始者として知られるウォルトが手がけた式典用の礼服。宝石を好み、クリノリン・スタイルの流行にも大きな影響を与えるなど、彼女自身も19世紀を代表するファッションリーダーでした。

ピエール=ポール・アモン《皇后ウジェニー》1850年代 東京富士美術館
最後の第3章「永遠に新しく ― マリー・アントワネット・スタイル」では、その影響を現代へとつなげます。パステルカラーやリボン、華やかなドレスのシルエットなど、王妃のスタイルは現代のファッションやデザインのなかで繰り返し引用されてきました。
ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』のためにマノロ・ブラニクが制作した靴なども展示。単なる「優雅さ」の再現だけではなく、退廃や反抗、女性らしさ、多様性といった現代的なテーマへと、そのイメージが拡張されていることが分かります。

《映画『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督、2006年)のための靴とデザイン画》マノロ・ブラニク 2005年 マノロ ブラニク・アーカイヴ

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)
華やかな宮廷生活から革命による悲劇的な最期、そして死後につくられたイメージまで。マリー・アントワネットの「スタイル」は、本人の人生を離れながら、時代ごとに新たな意味を与えられてきました。
王妃ゆかりの品々と、そのイメージから生まれた現代の作品をあわせて見ることで、なぜマリー・アントワネットが250年以上にわたり人々を魅了し続けてきたのかを、多角的に感じられる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2026年7月31日 ]