情熱的な生涯と力強い筆致で知られるフィンセント・ファン・ゴッホ。その作品は、日本でも長きにわたり多くの人々を魅了してきました。
ポーラ美術館で初開催となる本展では、ゴッホの芸術とその背後にあるドラマに迫るとともに、彼の影響を受けた芸術家たちの歩みにも光を当てます。

ポーラ美術館「ゴッホ・インパクト ― 生成する情熱」会場入口
展覧会の冒頭では、ゴッホの生涯が紹介されます。
ゴッホは1853年、牧師の家に生まれ、美術商勤務を経て聖職を志すも挫折。27歳で画家を目指し、ハーグ派の画家たちとの交流を通じて独自の表現を育みました。パリで印象派や浮世絵に触れ、色彩表現を大きく進化させます。
南仏アルルでは芸術家の共同生活を夢見るも破綻し、療養先のサン=レミでも制作を継続。創作にすべてを懸けた末、1890年にオーヴェールでピストル自殺を図り、生涯を閉じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 ポーラ美術館
ゴッホの影響が美術界で本格的に広がるのは、没後10年以上が経った20世紀初頭のこと。1901年の大規模な回顧展はドランやヴラマンク、マティスに大きな刺激を与え、のちのフォーヴィスム誕生の契機となりました。
一方ドイツでは、1905年にゴッホ作品を見た「ブリュッケ」の若手画家たちが、感情を爆発させるような筆致と色彩に衝撃を受け、表現主義という新たな動向を切り拓きます。

(右手前)アンリ・マティス《オリーブの木のある散歩道》1905年 ポーラ美術館
明治末期、日本にも西洋美術の最新情報が伝わり、高村光太郎らが芸術の自由を唱える中で、個性的な表現を求める動きが広がります。雑誌『白樺』などを通じてゴッホの作品や手紙が紹介され、多くの若い芸術家に強い影響を与えました。
岸田劉生らは複製図版をもとにゴッホ風の作品を制作し、1912年にヒュウザン会を結成。人格と芸術を結びつける大正期の風潮の中で、ゴッホは「孤高の天才」として日本に受容されていきました。

『白樺』におけるゴッホの紹介
戦前の日本では『白樺』をはじめとする媒体でゴッホの複製図版が広まり、最初のゴッホ・ブームが到来。しかし実物を見る機会は限られていました。唯一の例外がパリ郊外オーヴェールのガシェ家で、1922〜1939年にかけて240名以上の日本人が訪れています。
初期の訪問者である画家・里見勝蔵は、前田寛治や佐伯祐三の「ゴッホ巡礼」にも影響を与えました。彼らの体験とヴラマンクとの交流から、「日本的フォーヴ」とも呼ばれる新たな表現が生まれていきます。

佐伯祐三《オーヴェールの教会》1924年 鳥取県立美術館(展示期間:5/31〜11/9)
1920年、神戸の実業家・山本願彌太が『白樺』の依頼でゴッホの《向日葵》(1888年)を購入し、日本に初めて本物のゴッホ作品がもたらされました。公開は1921年と1924年の展覧会でのわずか14日間のみでしたが、吉原治良ら多くの芸術家に強い衝撃を与えました。
この《向日葵》は1945年の空襲で焼失し、現在では「幻のゴッホ」として語り継がれる存在に。本展では、陶板による再現作品が展示されています。

(左から)中村彝《向日葵》1923年 石橋財団アーティゾン美術館 / フィンセント・ファン・ゴッホ《ヒマワリ》1888年(陶板製作年:2023年)陶板による再現 大塚オーミ陶業株式会社
戦後は大衆文化の中でゴッホ像が浸透し、映画や演劇を通じてその人物像が広まりました。1950年代には「ゴッホ・ブーム」とも呼ばれる現象が巻き起こります。
精神科医でありゴッホ研究者としても知られる式場隆三郎は、1953年に丸善日本橋店で「生誕百年記念ヴァン・ゴッホ展」を開催。複製画を中心とした展示ながら、大きな話題を呼びました。

(左手前)『生誕百年記念“ヴァン・ゴッホ”展目録』丸善株式会社、1953年 ポーラ美術館
社会や美術の既成概念を揺さぶる作品で知られる福田美蘭は、2002年に大原美術館での展示で初めてゴッホを題材とした作品を制作。
同館所蔵でかつてゴッホ作とされた《アルピーユの道》をもとに、「よりゴッホらしいゴッホ」を描く試みを行いました。

福田美蘭《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》2002年 公益財団法人大原芸術財団 大原美術館
森村泰昌は1985年、耳に包帯を巻いたゴッホの自画像になりきるセルフ・ポートレートを発表。「芸術家とは何か」「自分とは何者か」という問いを出発点に、以後の表現を展開しています。
森村は30年後に、実寸大の「ゴッホの部屋」を再現した作品で再びゴッホに扮し、過去の自作も登場させながら「文化的な私」と「個人的なわたし」の交錯を描きました。本展では、これらのゴッホ関連作品が一堂に紹介されています。
![ポーラ美術館「ゴッホ・インパクト ― 生成する情熱」会場より (左から)森村泰昌《肖像(カミーユ・ルーラン)》[ベルギー版]1985/1989年 ポーラ美術館 / 森村泰昌《肖像(ゴッホ)》[ベルギー版]1985/1989年 ポーラ美術館 / 森村泰昌《自画像の美術史》(ゴッホの部屋を訪れる)2016/2025年 作家蔵](https://www.museum.or.jp/storage/article_objects/2025/06/13/dd4721112f81_l.jpg)
(左から)森村泰昌《肖像(カミーユ・ルーラン)》[ベルギー版]1985/1989年 ポーラ美術館 / 森村泰昌《肖像(ゴッホ)》[ベルギー版]1985/1989年 ポーラ美術館 / 森村泰昌《自画像の美術史》(ゴッホの部屋を訪れる)2016/2025年 作家蔵
桑久保徹は、印象派のモネにちなんだ架空の画家「クウォード・ボネ」に自らを仮託し、絵画制作を行っています。
フェルメールからホックニーまで、歴史的画家との対話が創作の核となっており、厚塗りの技法や画中画を用いた表現は、想像上の画家=ゴッホとの継続的な対話でもあります。

桑久保徹《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》2015年 個人蔵
フィオナ・タンの映像作品《アセント》は、富士山の写真約4,000枚で構成され、語りと視覚が交差する詩的な世界を描きます。
作中では浮世絵や自然観についての言及とともに、ゴッホへの言及も。日本に憧れた彼の視線と、現代作家タンのまなざしが重なり合い、文化の記憶と交錯を描き出しています。

フィオナ・タン《アセント》2016年 ベルナール・ビュフェ美術館
ただ一人の画家という枠にとどまらず、時代や文化を超えて問いを投げかけ続けてきたゴッホ。「情熱の連鎖」をたどりながら楽しめる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年6月11日 ]