2007年に特別展「狩野永徳」を開催した
京都国立博物館。本展は、ちょうどその続編にあたる企画です。
48歳で永徳が没したのは1590(天正18)年。信長と秀吉に仕え、画壇の頂点に君臨していた巨星の死去は、狩野派に大きな衝撃を与えました。
障壁画が多い会場は、見ごたえたっぷりこの時代の狩野派は、秀吉の長男(鶴松)を弔う障壁画を描く大仕事を長谷川派に奪われるという屈辱を味わいます。さらに、天下は豊臣・徳川・朝廷が拮抗する難しい局面。ここで狩野派が取った策が、美術史上でも名高い「三面作戦」でした。
豊臣には山楽と内膳、徳川には長信、朝廷には孝信と、三者それぞれに有力な絵師を配し、不測の事態が起きても宗家の安全を守る戦術。実力がある絵師を多く抱える狩野派ならではと言えます。
永徳の後を継いだ光信は44歳で客死、次の貞信も27歳で急逝と、狩野宗家はその後も悲運が続きますが、各絵師は穴を埋めるかのように奮闘。そして、徳川の治世に相応しい瀟洒淡麗な作品を描く天才・探幽の登場により、狩野派は再び磐石の体制を取り戻したのです。
危機を乗り切った光信、貞信、内膳、孝信らの作品が並びます新発見・展覧会初出展の作品にも注目。いずれも極めて質が高い事も特筆されます。
永徳のような力強い松の描写が見られる山楽筆《槇に白鷺図屏風》と、狩野派としては珍しく色っぽい所作の人も描かれた《北野社頭遊楽図屏風》は、新発見の作品。画面の損傷が激しかった《源氏物語図屏風》は全面修復され、美しい姿で展覧会に初登場となりました。
さらに大きな話題となっているのが、開幕直前に出品が決まった探幽筆《八尾狐図》。三代将軍家光が病を患っていた際、夢に狐が現われて治った事から、その狐を描かせた事は知られていましたが、今までその絵は見つかっていませんでした。画中には家光自筆の日付、寛永寺の開山・天海による年号も記されており、歴史的にも重要な逸品です。
動画は順に、山楽筆《槇に白鷺図屏風》、孝信筆《北野社頭遊楽図屏風》、《源氏物語図屏風》京都・檀王法林寺、探幽筆《八尾狐図》昨年9月にオープンした平常展示館「平成知新館」が、多くの来館者に支持されている
京都国立博物館。
本展と、
京都国立博物館の今後の展開について、佐々木丞平館長にお話しを伺いました。
京都国立博物館 佐々木丞平館長会期はわずかに37日、巡回はせずに
京都国立博物館だけでの単独展です。会期途中で展示替えがありますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月6日 ]■主な展示替
前期:4月7日(火)~4月26日(日)
後期:4月28日(火)~5月17日(日)
■京博ウェブサイト:
http://www.kyohaku.go.jp