大阪歴史博物館「渡来人いずこより」
撮影・文 [エリアレポーター]
胤森由梨 / 2017年4月25日
渡来人ってどこから来たの?
中学校の教科書を見てみると、「渡来人」とは、大陸文化を日本に伝えた人、とあります。
彼らが日本に来ていたのは、主に古墳時代で、その頃朝鮮半島は三国時代と呼ばれており、4つの国(高句麗:こうくり、新羅:しらぎ、百済:くだら、加耶:かや)に分かれていました。
4つの国があったわけですから、もちろん墓の形態や文化も多種多様でした。
この展覧会では、主に近畿地方から出土した資料をもとに、それらがどの国からもたらされたものなのか、渡来人の「出身地」を明らかにする展示となっています。
以下、特に興味深かった出土品をご紹介します。
まずはこちら。これは、《熨斗》(のし:古墳時代中期(5世紀))と呼ばれるもので、今でいう「アイロン」の役割を果たしていたものです。
昔は電気もなかったので、このくぼんだ部分に火や熱を発するものを入れて、布に押し当て、シワを取っていたそうです。
こちらはとても高級品だったようで、これとよく似たものが百済の武寧(ぶねい)王陵からも出土しているそうです。
こちらはすべて《角杯》で、右手前にあるものが古墳時代後期(6世紀)に作られ、日本で発掘されたもので、右奥のものは朝鮮三国時代(5〜6世紀)に作られ、朝鮮半島から発掘されたものです。
ほぼ同時期に作られたものですが、日本で作られた角杯の方は先が尖らず、平らになっています。
寺井学芸員の話では、当時、日本では牛がまだ珍しかったために、「角」を見る機会が少なかった。ゆえにこうした角の先が取れた角杯を作ったのではないか、ということでした。
渡来人から受け継いだ技術をそのままそっくり踏襲するのではなくて、アレンジを加えているというのが面白いですね。
こちらは、すべて様々な地域から出土した《甑》(こしき)と呼ばれる土器です。
これらは主に穀物などを蒸す調理具、つまり今でいう炊飯器として使われたもので、5世紀の始め頃に竃(かまど)と一緒に、朝鮮半島から近畿地方に伝えられたものです。
米などの穀物を蒸すときには、甑の下に水を張った甕(かめ)、そしてその下に火を起こした竃をセットします。
そうすると甕から上がってきた蒸気で穀物などを蒸すことができる、という仕組みです。
甑の底の穴の開け方には地域性があるため、穴を見れば地域が判別できるそうです。
これは蒸す穀物の違いなのか、それとも蒸し上がった穀物の固さの好みの違いなのか・・・謎は深まるばかりです。
こちらは展覧会風景です。
出土品と言っても馬の装備品から、竃まで様々です。
左の方には馬の埴輪も見えます。
出土品を元にした展覧会は一見地味ですが、これは現代ではどんな家電なのだろうか、と想像を膨らませてみてみると楽しいかもしれません。
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胤森由梨
美術が大好きなアートライターです。美術鑑賞に関わる仕事を広げていきたいと思っています。現在、instagram「tanemo0417」「artgram1001」でもアート情報を発信中です!
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