Bunkamura ザ・ミュージアム「オットー・ネーベル展」
撮影・文 [エリアレポーター]
松田佳子 / 2017年10月6日
ベルリンで生まれ、ドイツ・スイスで活動した画家、オットー・ネーベル(1892-1973)の日本初の回顧展が、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで行われています。
会場全体に広がる美しい色彩の裏には、第2次世界大戦時のナチス・ドイツからの迫害を受けた当時の前衛芸術家の苦悩があります。オットー・ネーベルは、影響を受けたクレー・カンディンスキー・シャガールと同じようにドイツを追われ、その後スイスで活動をします。
初期のカラフルで幻想的な小品は、テーブルに作品を置いて絵本を読むように指で指し示しながらお話ができるように作られたそうです。隣の壁に展示されているシャガールの影響を感じることができます。
(左から)オットー・ネーベル《11人の子どもたちが「日本」ごっこ》1934年 ミクストメディア、グアッシュ オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《青から出てきた姿たち》1934年 油彩・キャンヴァス(卵の溶剤で溶いた白亜地) ベルン美術館
上はオットー・ネーベル財団理事長 テレーゼ・バッタチャルヤ=シュテットラーさんによるギャラリートークの写真です。
建築学を学んだネーベルは、建築的な景観を重視した独特の風景画を作成します。色鮮やかな作品を間近で見てみると、細かい点やマス目で構成されていて、それが質感や立体感として表現されていることがわかります。
(左から)オットー・ネーベル《煉瓦の大聖堂》1934、1947年 油彩・キャンヴァス オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《青い広間》1930、1941年 樹脂絵の具・白亜地、キャンヴァス オットー・ネーベル財団
1931年イタリアを旅したネーベルは、風景の中の色彩を取り出し「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」を制作します。「カラーアトラス(色彩地図帳)」とは、大小のマス目にその土地土地の色のイメージを並べ構成したものです。
オットー・ネーベル《ポンペイ》『イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)』より 1931年 インク、グアッシュ・紙 オットー・ネーベル財団
建築学だけでなく、音楽や演劇に造詣が深かったネーベルは、音楽用語を題材としたり、音楽記号をモチーフとした作品も数多く制作したりしています。その作風は、交流の深かったカンディンスキーと重なる部分も感じられます。
(左から)オットー・ネーベル《叙情的な答え》1940年 テンペラ・紙 オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《ロンド・コン・ブリオ(元気に)》1940年 テンペラ・紙 オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《青い動き》1940年 テンペラ・紙 オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《かなり楽しく》1940年 テンペラ・紙 オットー・ネーベル財団
その他にも文学や文字への興味も尽きず、ゲルマン語の古い文字体であるルーン文字からインスピレーションを受けた作品も多くあります。ネーベルの広く深い知識が、彼の作品を生み出したとも言えるでしょう。
(左から)オットー・ネーベル《持続的に》1950年 水彩、グアッシュ、金銀箔・紙 オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《幸福感》1950年 水彩、グアッシュ、金箔・厚紙 オットー・ネーベル財団 / オットー・ネーベル《自らの内に浮揚して》1947年 グアッシュ・紙 オットー・ネーベル財団
抽象画というと「難しい」「何が描いているかわからない」と思いがちですが、ぼんやりと色鮮やかな画面の中の不思議な形を見つめていると、自分の心の中にある感情や情景が浮き上がってくるような気がします。
本展のオリジナルグッズもおしゃれで豊富です。オットー・ネーベルの作品は造形的な美しさが際立つ作品だからこそ、このように身近な製品にも応用しやすいのでしょうか。
エリアレポーターのご紹介
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松田佳子
湘南在住の社会人です。子供の頃から亡き父のお供をして出かけた美術館は、私にとって日常のストレスをリセットしてくれる大切な場所です。展覧会を楽しくお伝えできたらと思います。
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