現在、国内外から多くの人々が訪れる観光地・日光。山岳信仰の拠点として、徳川家の霊廟として信仰を集める「いのり」の地であった日光は、多くの参拝客で賑わったものの、明治期に神仏分離を命じられたことにより、衰退の危機に瀕します。そのような中、アーネスト・サトウら日光を訪れた外国人が、絢爛な社寺や豊かな自然を見出したことにより、観光地としての道を歩み始めることとなります。
また、この頃の日本では洋画が大きく発達しましたが、日光においても、旅の果てにこの地に定住した五百城文哉(1863-1906)や、その弟子の小杉放菴(1881-1964)が中心となり、独自に発展を遂げました。特に、外国人観光客に向けて制作された社寺を描いた「おみやげ絵」からは、黎明期の洋画と日光の「観光地」としての始まりの様子をうかがい知ることができます。
もう一つ、日光の美術を知る上で欠かせないのが、「国立公園絵画」です。1934(昭和9)年、日光は国立公園の指定を受けますが、そもそも、この制度は、明治時代に当時の日光町が帝国議会に請願をしたことがきっかけに定められたものでした。その普及のために制作された国立公園絵画は、藤島武二や梅原龍三郎など当時を代表する画家たちが手がけ、約80年の歳月を経て、全80点が完成。近代洋画の流れを追うことのできるこの貴重なコレクションは、2012(平成24)年に当館に寄贈されました。
このように、近代の日光では多くの優れた画家や作品が生まれましたが、現代もその流れは止まることはありません。現代の洋画壇を代表する画家に、入江観(1935-)が挙げられます。日光に生まれた彼は、幼い頃から絵画に親しみますが、その背景には小学校の先輩である放菴や、小中学校の恩師が中心となって発足した絵画グループ・青光会といった、豊かな環境がこの地にあったためと言えるでしょう。
世界遺産登録から20年を迎えた今、近代から現代に至る「自然」と「いのり」から生まれた絵画の名品をご紹介します。