かすかな色彩の量しや揺れに拝情性が漂う米澤邦子と瀧千尋の作品は、抽象的な文様と有機的な情感が複合的に結び合った装飾性を見せています。
それは、現実を基にしながらも、心の中に生まれた幻想が、現実を離れた虚の世界へと転換されたものです。この極めて濃厚な幻想を持つには、非現実的な思考が理性的な認識にまでのさばるような、視覚が感情の内に向けて開けている人でなければ不可能な気がします。感情と思考が相並んで現れる、その表現の機能は、どのような色と形を選んだら柔軟な想像力を保てるか考え分けて、現実を処しています。たとえば、物の輪郭や譜調は、ある程度の具体的な形態に基づきながらも、図と地が相互に響きあうような構成に工夫がされており、そこには記憶や、直観や、視覚的な残像など、豊富な内容が盛られているのです。それは、現実の世界に感覚的な光をあてたもので、まるで、移ろう木漏れ日のように、変化する種々のイメージを操ります。そして、それは、また、ごくありふれた日常の思考や、自分の感情から起こる印象に、心象の意識があふれる感覚の光をとどかせるものでもあります。
2人の表現とは、今更言うまでもなく、視覚に即した現実の再現ではなく、心象という、自の内面的な認識と、肉眼を必要とする把握が一体となったものですが、それは鑑賞者が、その形のリズムや色彩の情緒など、もろもろの要素と対話することで、絵画の内面を引き出し、それぞれの美にまつわるストーリーを登場させるものです。
本展は、自身の造形的な主張を、抽象的に、しかし実在する何かで示すために、心象という表現を通して、鮮明に映し出す作家たちの展示です。
我々は自分自身の想像力については僅かな事しか知りません。しかし、自分の力以上のものを創造する方法は、経験的に習得してきました。その一っが心象を媒体としたイメージの創造です。
それは、現実を納得した形で捉えるために、無駄を省き、不足を補い、ある意味で現実以上のイメージを形成します。そして、外部の表層をすくいあげるだけでなく、内部の要求にも従うことで、人類の記憶にも視線を向けるものです。それぞれの心象の、時に大らかで、時にデリケートな、その流儀をどうぞご堪能ください。