2つの展示室で開催中の本展。展示室Ⅰでは一休の実像を、展示室Ⅱでは死後広まった一休像を紹介します。
京で生まれた一休、後小松天皇の落胤とも言われています。詩才に長けた人ですが、奇行もしばしば。木剣の柄を叩いて堺を闊歩したのは「人を切る事ができない木刀=兄弟子による偽りの教え」という痛烈な皮肉で、長い朱太刀とともに描かれた「朱太刀像」の肖像画も残ります。
戦乱が続く洛中を避けて各地を転々とし、70を過ぎてから出会った盲目の女性「森女」を寵愛。その行動はおよそ仏門には相応しくありませんが、戒律を逸する事で悟りの境地を現す「風狂」の体現者とも言われます。
展示されている資料では、著作「狂雲集」が強烈です。兄弟子や為政者の批判も去ることながら、性描写があまりにも…。「吸美人婬水」(美人の淫水を吸う)、「美人陰有水仙花香」(美人の陰に水仙の花香有り)と、漢字の文面を追うのが恥ずかしくなる程です。
他にも展示室Ⅰには、一休の肖像や書(一休は能筆で知られます)、さらに一休が使ったと伝わる道具も並びます。
展示室Ⅰ展示室Ⅱの前にも、一休所用と伝わる道具が。《青磁鉢》と《石硯》は後小松天皇から下賜されたと伝わるので、あるいは「父から子への贈り物」なのかもしれません。
奇行の破戒僧だった一休が「とんち小僧」になったきっかけと言えるのが、一休が亡くなって約200年後の江戸時代に刊行された「一休ばなし」です。変わり者だった一休の言動を仕立て直し、創作も交えて独立した話を寄せ集めた「狂歌話集」といえるもの。現在でも伝わる「このはしわたるべからず」はこの書に記されています。
この創作はヒットし、後を受けた「一休もの」が次々に誕生。芝居や浮世絵の題材にもなる事で、一休の受容は急速に広がっていきました。
明治維新の後も一休の人気は続き、書籍のほかに講談や新聞小説の題材にも。戦後は1975年から放映されたテレビアニメ「一休さん」が大ヒット。その人気は隣国にも飛び火し、台湾ではアニメの話を絵本にした出版もされました。
展示室Ⅱ創作が多い一休の話ですが、例えば美しい遊女・地獄太夫を弟子にした話などは、前述の森女との関連から生まれたと考えられるなど、実像とリンクしたストーリーも見受けられます。
愛され続ける「破戒の僧」。実像も創作もあわせてお楽しみいただける、楽しい企画展です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年10月23日 ]■五島美術館 一休 に関するツイート