譲位後、出家して仁和寺に入った宇多法皇。法皇が住む僧房を「御室」と呼んだ事から、御室は仁和寺の別称となりました。
第1章「御室仁和寺の歴史」も、宇多法皇の紹介から始まります。仁和寺第一世が宇多法皇。以降、第三十世の住職まで、天皇の皇子や皇孫など皇室出身者が就いています(第十世を除く)。
仁和寺と皇室の深い繋がりを示すのが、宸翰(しんかん:天皇直筆の書)の数々。仁和寺は御願寺(皇室の私寺)として、各代の天皇に崇敬されてきました。
国宝《三十帖冊子》は第1章の目玉。空海が遣唐使として唐に留学した際、現地の経典などを写したもので、唐の写経生のほか、空海自身が書いた箇所もあります。
1月28日までは、なんと全帖を一挙公開(展覧会では初)。その後は会期末まで、空海真筆部分を中心に2帖ずつ展示されます。
第1章「御室仁和寺の歴史」第2章は「修法の世界」。修法(しゅほう)は、仏の力で現実世界に様々な影響を与える密教の儀式のこと。天変地異による災いが深刻だったこの時代、修法は国家的な行事として行われてきました。
第3章は「御室の宝蔵」。宇多法皇は崩じる9日前に御物を仁和寺の宝蔵に移し、仁和寺の宝蔵が成立しました。以後、厳重に管理されており、中には、日本における現存最古の医学書、国宝《医心方》など、極めて重要な資料も含まれています。
第2章「修法の世界」、第3章「御室の宝蔵」展示室2に進むと、さらに目を引く宝物が続々と登場。第4章は「仁和寺の江戸再興と観音堂」です。
京都にある他の寺院と同様に、仁和寺は応仁の乱で被災。寺の伽藍はことごとく焼失しました。江戸時代に入り、三代将軍家光の援助を受けて再興されました。
中門内の西側にあるのが、観音堂です。僧侶の修行道場のため普段は非公開ですが、今回、展示室内に観音堂の内部が再現されました。
須弥壇には中央の千手観音菩薩立像をはじめ、従者の二十八部衆立像、風神・雷神立像、脇侍に不動明王立像と降三世明王立像と、計33体。観音菩薩のさまざまな姿を描いた壁画も、高精細画像で再現されており、須弥壇の裏側まで、極彩色の世界が広がります。
なお、このコーナーは写真撮影が可能。‘ばえる’こと、間違え無しです。
第4章「仁和寺の江戸再興と観音堂」第5章「御室派のみほとけ」には仏像がずらり。仁和寺だけでなく、御室派の各寺院から、ふだん公開されていない秘仏も含めて出陳されています。
大日如来を中心に四仏が配されているのは、重要文化財《五智如来坐像》(大阪・金剛寺)。続く阿弥陀如来坐像と両脇侍像は国宝で、仁和寺創建時の本尊です。
ひときわ目を引く巨大な像は、重要文化財《降三世明王立像》と重要文化財《深沙大将立像》(ともに福井・明通寺)。像高は2.5メートルを超える巨像ですが、一木造り(1本の木材から像を彫り出す技法)で造られています。
第5章「御室派のみほとけ」なお展覧会は、2月12日(月・休)までの前期と2月14日(水)からの後期で大きく展示替え。1041本の手を持つ国宝《千手観音菩薩坐像》(大阪・葛井寺)は後期に展示されます。他にも何回か展示替えがありますので、公式サイトでご確認ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年1月15日 ]※後期展には葛井寺の国宝「千手観音菩薩坐像」が出陳中です
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