フランス北西部に位置するノルマンディーですが、いち早くその魅力に目を付けたのはイギリスの画家たち。この地に残る修道院跡などが「ピクチャレスクな(絵になる)風景」として、ロマン主義者の心を捉えました。19世紀中頃にはイギリスとこの地を結ぶ定期連絡船が就航。フランスに渡った彼らの影響を受けて、フランスの画家たちもこの地に着目するようになった、という流れです。
本展には、セーヌ河口のル・アーヴルにあるアンドレ・マルロー美術館が全面協力。ロマン主義の油彩から現代の写真家の作品まで、ノルマンディーに魅せられた作品を8章構成で紹介します。
会場療養や健康のために海水浴が盛んになると、ノルマンディーには上流階級向けの施設が整備されます。第3章「海辺のレジャー」には、ノルマンディーに集まった富裕層を描いた作品が並びます。
海辺に佇む物憂げな貴婦人の肖像画は、ヴィットリオ・マッテオ・コルコスによる《別れ》。コルコスはパリの社交界と繋がりを持って成功した肖像画家で、上流階級の顧客とともにノルマンディーに訪れ、肖像画を残しました。
第3章「海辺のレジャー」第4章は「近代化に対する印象」。ロマン主義的な時代においては風景もある程度理想化して描かれていましたが、社会の近代化にともない、画家たちは次第に目の前でおこっている現実そのものに目を向けるようになります。
産業革命のシンボルである大型帆船と蒸気船が往来していたノルマンディー。大型船はもとより、変容する港の姿も力強く描きました。
第4章「近代化に対する印象」第7章で大きく紹介されているのが、ラウル・デュフィ。ル・アーヴルで生まれたデュフィは、生涯にわたってこの地を愛し続けました。
デュフィの晩年の作品には、「黒い貨物船」のモチーフがしばしば登場します。重苦しい雰囲気はリューマチで不自由になった自分自身を表現したものですが、その舞台として描かれている風景は、デュフィが愛したノルマンディーの風景です。
第7章「ラウル・デュフィ:セーヌ河口に愛着を持ち続けた画家」館名が「
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」に変わってから、初めての企画展。東京展の後は、広島(2015年2月28日~4月12日、
ひろしま美術館)、熊本(2015年4月18日、
熊本県立美術館)、山梨(2015年6月27日~8月23日、
山梨県立美術館)と巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月5日 ]■印象派のふるさと ノルマンディー展 に関するツイート