あまりにも有名な冨嶽三十六景ですが、実は全46点が揃いで展示される機会は多くありません。
そもそも揃いを所有しているのは、おそらく国内では10組程度。公立美術館に限ると、
江戸東京博物館の他は、
山梨県立博物館などごくわずかしかないのです。
江戸東京博物館では2006年に一堂に展示してから7年ぶり。おそらく東京での展示も、それ以来と考えられます。
会場著名な作品でありながら、謎が多い冨嶽三十六景。そもそも描かれた時期も正確には分かっていません。
広告が出た時期から推定すると、天保2(1831)年~天保5(1834)年ごろ。ちなみに、広告では「冨嶽三十六景」と書いて「ふじ三十六景」と読ませているので、江戸時代には「ふじ」と呼ばれていたのかも知れません。
会場での展示は「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」から。特に人気があるこの3点は、他よりスペースを取ってゆったりと展示しています。
展示はやはり「神奈川沖浪裏」から「三十六景なのに揃いが46点?」という方は、なかなかスルドイ。36枚を描いた後に、好評のため10枚が追加されたのです。
追加の10枚は通称「裏富士」。36枚は線が藍色で刷られているのに対し、裏富士の10枚は線が黒くなっているのが特徴的です。
10枚の「裏富士」会場には北斎が暮らしていた画室模型も展示されています。
北斎は生涯で90回あまり引っ越したと伝えられており、これは83歳ごろに娘の阿栄(おえい:葛飾応為で、父と同じく)と暮らしていた頃の画室。場所は現在の両国4丁目ですから、江戸東京博物館のすぐ近くです。
家は狭く粗末で、ゴミだらけ。北斎はいつも布団をかぶっていたという逸話も残ります。
晩年の北斎の画室を再現した模型揃いで見ると、意外と知らない絵も多いことに気づきます。開館記念日の3月28日(木)は常設展示室の入場は無料、会期はわずか2週間ので、お見逃し無く。(取材:2013年3月14日)