シーボルト事件に新たな展開!?
江戸時代後期に医師として来日したシーボルトは、日本の自然や文化に関わる資料を収集し、大量にヨーロッパへと持ち帰りました。
とにかくものを集めるのが大好きなシーボルト。ただ高価なもの、珍しいものだけを集めるのではなく、一般人が使うような日常品まで幅広く資料を収集しました。
この幅広い収集品は、異文化を正確に伝えたいというシーボルトの願いからきています。
国立民族学博物館(みんぱく)では、シーボルト二度目の来日時に収集した資料が、ドイツのミュンヘンで実際に展示・公開された時の展覧会の様子を見事に再現しています。
こちらは藁細工や編細工の工芸品を展示したコーナーです。
藁を使ってこれほど繊細で多様なものを作り出す日本人の技術に、シーボルトはさぞ驚いたことでしょう。
こちらは左から、《赤絵染付諫鼓鶏香炉》(江戸時代後期)、川本治兵衛(三代)作《瑠璃釉鶴文大植木鉢》(江戸時代末期)、《漆塗雲鶴竹鶏松鶴文染付蛸唐草文蓋付壺》(江戸時代後期)。
まるでお宝鑑定団に出てきそうな、形の面白い陶器がズラーッと並んでいます。一番左の諫鼓鶏をかたどった香炉は、くちばしのところから煙が出るようになっているのでしょうか。
こちらは展覧会風景です。
こちらに並んでいるのは、なんと漆でできた豪華なお弁当!
こんな器にご飯が詰まっていたら・・・と考えるだけでおなかが鳴りそうです
こうしたお弁当箱や重箱は外国人に大人気のアイテムだったそうで、シーボルト自身も『日本』という著作の図版に多種多様なお弁当箱を取り上げており、関心の高さが伺えます。
こちらはシーボルトがアムステルダムで日本を紹介する展示を行った際の展示スペースを再現したコーナーです。
こちらのコーナーの反対側では、当時の展示をプロジェクションマッピングでわかりやすく紹介しています。
※協力:はこだて未来大学
シーボルトは、「日本の宗教」と題されるこのコーナーで、日本の宗教に関わる品々をひな壇状に展示しました。
配置の仕方がなんとも面白いですよね。
この展覧会では、シーボルト事件に関して新たな研究成果が明らかになりました。
シーボルトは1828年に帰国する際に禁制品とされた日本図の持ち出しを試みました。
それにより、日本図をシーボルトに渡したとされる高橋景保とその関係者は厳しく処罰され、シーボルト自身も国外追放となりました。
近年までは、高橋景保からシーボルトへ渡った伊能日本図が一体どんなものであったのかは推測の域を出ませんでしたが、今回、シーボルト側(シーボルトの子孫)で保存されていた資料をもとに、それがいかなる日本図であったのかが明らかになりました。
展覧会会場には、日本図を書き写したとされる《伊能特別小図写(西日本)》(1826-1828年頃)が展示されています。
こちらも要チェックです。
※資料は全て、ミュンヘン五大陸博物館蔵 ©Museum Fünf Kontinente, Munich(MFK)
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胤森由梨
美術が大好きなアートライターです。美術鑑賞に関わる仕事を広げていきたいと思っています。現在、instagram「tanemo0417」「artgram1001」でもアート情報を発信中です! ブログ「たねもーのアート録」http://tanemo-art.com/
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