明治5年、現在の井原市に生まれた平櫛田中は、木彫家を志して上京し、高村光雲の門下生たちと共に研鑽を積んで、次第に新進彫刻家として認められてゆきました。明治40年には日本彫刻会を結成。天才的な美術指導者であった岡倉天心に認められ、この時期、 「活人箭(かつじんせん)」 「尋牛(じんぎゅう)」 など禅の説話をもとにした精神性の高い名作を生み出しています。天心歿後は、横山大観を中心として再興された日本美術院へ同人として参加。大正期には、中原悌二郎、石井鶴三らとともに、彫塑研究をおこない、その成果である 「烏有(うゆう)先生」 「転生(てんしょう)」 などの傑作を院展に発表しています。その後も日本美術院彫刻部の重鎮として活躍し、肖像彫刻を中心に写実と様式の融合を探求した時期を経て、昭和33年86歳で、大和絵を生んだ日本人の明快華麗な感情を見事にあらわした畢生の大作 「鏡獅子」 を第43回院展に発表、その芸術を完成させました。
昭和37年には文化勲章を受章、木彫界の最高峰とたたえられ、昭和54年に107歳で歿するまで生涯現役を貫きました。
本展では、代表作 「鏡獅子」 中心に、近代木彫の精華ともいうべき名品を集め、田中芸術を回顧いたします。