◆夢のまた夢だったヒマラヤ登山
今から37年前の昭和45年(1970年)、日本で初めてのエベレスト登山が計画された。当時は外国に出かけること自体が冒険だった時代で、ヒマラヤの山々は植村直己のみならず登山家にとって憧れてやまない夢のまた夢の場所だった。
◆植村直己の栄光と苦悩
5月11日、松浦輝夫と植村直己は8848mの頂上に立った。日本人として初めての世界最高峰登頂。まだ世界に24人しかいなかった「エベレスト登頂者」にその名前を連ねた。植村直己はこれをきっかけに登山家としてその名前を世に知られるようになる。しかし、その後2度の挑戦に失敗。植村が再びエベレストの頂上に立つことはなかった。
◆「そこに最高峰があるから」
エベレスト登山は時代と共に形態を変え、登頂者の数は年々増加している。好天に恵まれた日は、山頂までの最後の道が登山者で「渋滞」するのだという。時には恐ろしい牙をむき大量の遭難者を出すこの魔の山に、今なお多くの人が挑むのは「そこに最高峰があるから」なのだろう。植村直己の足跡とその時代たどりながら、今なお人々を惹きつけてやまない世界最高峰エベレストの魅力を紹介する。
▽主な展示品=
・エベレスト登頂時の装備/昭和45年(1970年)の実物
・エベレスト山頂からのながめ
※山頂部分は畳2枚程度の狭さで山頂で撮影した写真とともに登頂時の様子を再現。山頂を体感する「風」の仕掛けもあり
・DVD上映「植村直己の世界」テレビ朝日製作/70分