近年、再評価の動きが高まるナビ派。オルセー美術館でも2015年にピエール・ボナール展が開催され、51万人を動員。これは、2014年のゴッホ展に次いで歴代企画展入場者数2位という記録でした。日本でも昨年、三菱一号館美術館で「
オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき」が開催され、好評を博しています。
ボナール作品のみで構成される本展は、1章「日本かぶれのナビ」から。1888年に結成されたナビ派。1890年にパリで開催された「日本の版画(日本の巨匠たち)展」に衝撃を受けたボナールは、明確な輪郭線や遠近表現など、浮世絵由来の手法を積極的に導入。「日本かぶれのナビ」と言われるようになります。
2章「ナビ派時代のグラフィック・アート」。ボナールは1889年にポスターのコンクールで入賞。ボナールが芸術の道に進む事を反対していた父も、この一件でようやく認める事となりました。ボナールはポスターや本の挿絵を数多く制作。トゥールーズ=ロートレックにも大きな影響を与えています。
3章「スナップショット」。かなり早い時期から写真に興味を示していたボナール。1898年にコダックが蛇腹式ポケットカメラを発表すると、発売と同時に入手したほどです。多くの作品のモデルになった妻・マルトの写真などが並びます。
4章「近代の水の精たち」。ボナールの作品にしばしば見られる、浴室と裸婦の組み合わせ。神経障害の治療のため、何度も入浴を繰り返したマルト。そしてマルトとの結婚後、浴槽で手首を切って自死したとされるボナールの愛人・ルネ。「水」と「裸婦」の関係は、ボナールにとって特別な意味を持っています。
5章「室内と静物『芸術作品 ─ 時間の静止』」。親密な室内空間を描き続けたボナール。展覧会メインビジュアルの《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》も、モデルはマルトです。静かな画面に、身を乗り出した猫。テーブルの上の魚を狙っているのでしょうか。
6章「ノルマンディーやその他の風景」。1912年、パリの西方にあたるノルマンディー地域圏のヴェルノンに、家を買ったボナール。窓やテラス越しにセーヌ川が広がり、庭には野生の植物が生い茂るこの家で、多くの作品を描いています。
7章「終わりなき夏」。1909年にボナールは南仏・サン=トロペに長期滞在しました。異なる風景はこの画家を刺激し、その後、コート・ダジュールを毎年のように訪れる事となります。輝く色彩に満ちた作品は、この地で見出したものです。
生涯の伴侶であるマルトをはじめ、身近な主題を描き続けたボナール。画家のプライベートを辿れるような、充実した内容の展覧会です。日本におけるボナール単独の展覧会は、2004年以来。巡回はせず、
国立新美術館だけでの開催となります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年9月25日 ]