ちょうど250年前の明和2(1765)年に誕生した錦絵。10色以上の色を用いても色がずれないフルカラー印刷は、この時期としては世界でも類例が無い画期的な技術でした。
会場は浮世絵の歴史のおさらいから。そもそも版本の挿絵だった木版画を、延宝年間(1673-81)頃に独立した鑑賞用の作品にしたのが、菱川師宣。師宣は「浮世絵の祖」と称されます。
ただ、最初期の浮世絵は、墨一色の「墨摺絵」。これでは味気ないので、刷り上がった墨摺絵に筆で彩色する「丹絵」「紅絵」が生まれます。筆の彩色では量産できないので、色の部分も版画にしたのが「紅摺絵」。当初は2~4色程度でしたが、金に糸目をつけずに多色摺りを試行、ついに錦織物のような鮮やかさの「錦絵」が誕生しました。
浮世絵誕生から約80年に及ぶ技術開発を経て、錦絵に到達したわけです。
浮世絵の歴史。墨摺絵→丹絵・紅絵→紅摺絵→錦絵、という流れです。ここから浮世絵の超絶技巧をご紹介、まずは彫師の技をご覧下さい。
役者や遊女の上半身を描いた大首絵は、髪の生え際にご注目。実に細かな線が何本も描かれている事が分かります。これがペン画なら特に驚きませんが、浮世絵はもちろん木版画。彫師が版木を彫る時、髪の毛の部分を残し、それ以外を掘り込んでいるのです。
版木の材料は山桜。使われた版木でその技を確認したいところですが、残念ながら、浮世絵が摺られた後の版木は焚き木などに使われてしまう事も多く、殆ど残っていません。
蚊帳や薄い衣も、彫師の技の見せ所。蚊帳の中で赤子が乳を求める姿はほのぼのとしていますが、実は彫師の職人魂がぶつけられているのです。
なかには彫師の技を見せる事が主眼になっているような作品もあります彫師が作った版木を使って、実際に印刷するのが摺師。絵具と水を絶妙にコントロールしたグラデーションは摺師の見せ場ですが、ここではちょっと変わった摺りをご紹介します。
一見では真っ黒に見える衣の部分が、角度を変えてみると市松模様に。これは摺られた後の下に版木を置き、こすってツヤを出す「正面摺」という技法です。
紙に凹凸を付ける技法も古くから使われており「きめ出し」と呼ばれていました。鈴木春信《猫に蝶》は、猫のイメージにあわせ、身体がふっくらと浮かび上がります。
「正面摺」を施した、月岡芳年《月百姿 名月や来て見よがしのひたい際 深見自休》 / 立体的な「きめ出し」の、鈴木春信《猫に蝶》浮世絵の中には絵師だけでなく、彫師や摺師の名前も記されている作品もあります。
歌川広重《東海道五十三次之内 御油 旅人留女》には、旅籠の中に「一立斎図」(一立斎は広重の号)とともに「彫工 治郎兵衛ヱ」「摺師 平兵衛」の名前が。
歌川国貞《東海道五十三次之内 まり子 田五平》には絵師の名前と並んで「彫竹」(彫師・横川竹二郎)、「摺大久」(摺師・大海屋久五郎)と書かれています。
彫師や摺師の名前は幕末の浮世絵に良く見られますが、彫師に比べて摺師はごくわずか。ゆえに名前が残っている大海屋久五郎などは、相当優れた摺師だったのかもしれません。
摺師と彫師の名前が記された浮世絵。ただ、絵師に比べると摺師や彫師は資料が少なく、人物像はあまり分かっていません一般の人が浮世絵を見る際にはディテールまで意識しないと思いますが、専門家が浮世絵を見る時には、細部こそ重要なポイント。細かな部分も表現されている浮世絵は版が摩耗していない証拠なので、これによって摺られた時期も推測できるのです。
著名な浮世絵はさまざまな展覧会で目にしますが、見方を変える事で新しい楽しみ方もできそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年9月3日 ]