この10月でようやく開館2周年と、まだ若々しい
岡田美術館。「箱根に行ったのに岡田美術館に行かなかったの?と言われる美術館にしたい」(小林忠館長)という目標を立てていましたが、メディアで紹介される機会も増え、すっかり箱根の新名所として定着しました。
今年1月に日本橋三越本店で開催された「岡田美術館所蔵 琳派名品展」では43件の琳派作品を展示、13日間で3万5,000人が訪れる盛況でした。今回はさらにスケールアップした企画で、
岡田美術館が所蔵する琳派作品を全て公開します(一部・二部あわせて)。
2階で展示されている《菊図屏風》は、尾形光琳による6曲1双の大屏風。白い菊花は胡粉を盛り上げ、ボリューム感たっぷり。葉と茎は緑色と黒の2パターンをバランス良く配し、画面にリズム感を与えています。
尾形光琳《菊図屏風》企画展のメインは4階。ここは本阿弥光悦と俵屋宗達の書画合作から始まります。
琳派の開祖である光悦と宗達。宗達が下絵を描き、光悦が和歌をしたためた合作の巻物は25点ほど確認されていますが、《花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻》は一巻がそのまま巻物の形で現存している貴重な作例です(切り分けられた「断簡」として掛け軸になっているものが多いです)。4色の色変わりの紙を使い、宗達は松林から蔦、竹、藤、蝶を木版で描写。光悦が20首の和歌を記しました。
三種の色紙は、宗達が柳や萩などを筆で描写。巻物・色紙双方ともに、なぜか下絵と和歌の季節は関連性が薄いようです。
本阿弥光悦と俵屋宗達の書画合作「俵屋」の主人だった宗達。俵屋は、京市中で不特定多数の客に絵を売る新しい商売「絵屋」でした。宗達を紹介する展覧会で良く見られる「伊年」という印は、当初は宗達自身が用いていた印章でしたが、後に俵屋のブランドマークとして用いられるようになったものです。
光悦・宗達の次の世代にあたるのが、京の高級呉服商「雁金屋」に生まれた尾形光琳です。展示されている《立雛図》は江戸風の配置(向かって左側に男雛)なので、光琳が江戸に滞在している時に描かれたものかもしれません。
宗達と伊年印の作品 / 尾形光琳の作品本展でもっとも数が多いのが、尾形乾山の作品です。光琳の弟である乾山は、20代後半から隠遁生活に入って作陶の道へ。乾山の器に光琳が絵付けをした兄弟による合作も多数残しています。
岡田美術館の乾山作品の中で、最も有名なのが《色絵竜田川文透彫反鉢》。今年、尾形乾山の色絵作品としてはじめて重要文化財に指定されました。外側には紅葉の幹と葉。器の縁は葉の形に沿うように切り取られ、所々に透かしも入っている凝った造形です。
尾形乾山によるやきものの数々。動画の最後が重要文化財《色絵竜田川文透彫反鉢》4階最後の展示室にある尾形光琳の《雪松群禽図屏風》が、
岡田美術館設立のきっかけになった作品です。
岡田美術館名誉館長の岡田和生氏は、それまで西洋絵画などを少しずつ蒐集していましたが、10数年前にこの作品に出合った事でたちまち日本美術の虜に。以後は近世・近代の日本画をはじめ、東アジアの陶磁器に蒐集の軸足を移し、まとまったコレクションを公開するために
岡田美術館が建設されたのです。
《雪松群禽図屏風》を見ると、背景の金地と水面の構成は大胆で、鳥の描写は写実的。館案内リーフレットの表紙でも使われている、美術館にとって思い入れの強い作品です。
尾形光琳《雪松群禽図屏風》本展は二部構成で光悦・宗達・光琳らが紹介される「京都編」は12月15日(火)まで。12月19日(土)からの第二部は「江戸・大坂編」と題し、中村芳中・酒井抱一・鈴木其一らの作品展示に変わります。第一部の入館券の提示で、第二部が一般・大人は800円引きとなる2,000円で鑑賞できるリピーター割引も実施されています。
ちなみに気になる噴火情報ですが、警戒されているのは「大涌谷」、
岡田美術館があるのは「小涌谷」。名前は似ていますが約2kmほど離れており、警戒区域にも全く入っていません。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年9月4日 ]