20世紀後半を代表するアーティスト、アンディ・ウォーホル。2013年にも《シルバー・カー・クラッシュ》が、ウォーホルの作品としては最高額となる1億500万ドルで落札されるなど、没後四半世紀を超えた今でも高い注目を集めています。
展覧会では作品約400点、資料約300点で、初期から晩年まで総覧。広い
森美術館が、まさにウォーホル一色に染まります。
Section_1 アンディ・ウォーホルのポートレイト:ウォーホルとは何者なのか?
赤い自画像は、他界する直前に制作された作品ですアンディ・ウォーホルのキャリアは、商業デザイナーから始まりました。大学を卒業後、ファッション誌のイラストや商品広告を手掛けて成功。著名なデザイン賞も受賞しています。
デザイナー時代のウォーホルは、ペンで描いたイメージに別の紙を押し当ててインクを転写させる「ブロッテド・ライン(しみつきの線)」という技法を得意としていました。
反復や転写を用いる手法は、アーティストに転身した後の制作スタイルに繋がっていくこととなります。
Section_2 1950年代:商業デザイナーとしての成功50年代末から、ウォーホルは絵画を制作するようになります。
62年にキャンベル・スープ缶の連作を個展に発表し、実質的に画家としてデビュー。この個展が終了した直後にマリリン・モンローが死去します。ニュースを聞いたウォーホルは、映画「ナイアガラ」の宣伝用写真を使って多くの絵画や版画を制作。ウォーホルの代表作になるとともに、マリリン・モンローのイメージを永遠に残すことにもなりました。
窓に面した展示室では、インスタレーション状の作品も。銀の風船が室内に浮いている《銀の雲》は、1966年の展覧会で発表されたもので、ウォーホルはこの時期から絵画から離れ、数々の実験映画を制作しました。
Section_3 1960年代:「アーティスト」への転身1968年にフェミニズム活動家に銃撃されたウォーホルは、一時は重体になりましたが、幸い回復。70年代初頭からは美術作品の制作も再開し、72年には《毛沢東》シリーズの制作をはじめます。
華々しい活躍の中で人脈を広げていたウォーホル。多くのセレブリティから肖像画の注文を受けました。
制作費は一律で決まっており、定価の一例で1m四方のパネル1点で25,000ドル。この価格は、当時のウォーホル作品を買うより安価だったといいます。
Section_5 1970-80年代Ⅰ:ビジネス・アートとセレブリティものを捨てるのが苦手だったと言われているウォーホル。1974年頃から《タイム・カプセル》と称し、あらゆる所有品を段ボール箱に入れて保管するようになりました。
ウォーホルの日常の凝縮ともいえる《タイム・カプセル》は600箱以上もあり、浮世絵をはじめ、日本に関連する資料も数多く含まれています。
80年代に体調を崩したウォーホル。87年に胆嚢の手術を受けましたが、術後の合併症のため2月22日に死去。享年58歳でした。
Section_8 タイム・カプセル香港、上海、北京と巡回し、東京が最終会場となる本展。展覧会タイトルの「永遠の15分」は、「将来、誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」というウォーホルの言葉に由来します。
TVモニターを担いだTDKビデオテープのコマーシャル(1983年)を覚えている世代も、教科書で見た若い世代も。アートでアメリカン・ドリームを実現したスーパースターの歩みを、お楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年1月31日 ]