山端の遺族から寄贈されたオリジナルプリント約70点を紹介する本展。会場には戦後の天皇のイメージを決定づけた、貴重な写真が並びます。
GHQによる占領下に置かれた日本。写真によって新しい天皇のイメージを示す事は、国民にとっての天皇像を転換させるとともに、責任論が天皇に及ぶ事を避ける意図が込められていました。
山端が天皇を撮影したのは、1945年12月23日。翌年元日の新聞各紙で報じられた天皇の「人間宣言」に添えられるとともに、同年2月4日号の米「LIFE」誌にも掲載。さらに翌年には日英併記の写真集「天皇」も刊行されました。
撮影された写真には、家族と語らい、自然を愛する研究者としての天皇の姿が映っています。坊主頭の皇太子(今上天皇)、三つ編の内親王、弾けそうな笑顔の皇后、そして家族をにこやかに見守る昭和天皇。その人柄を思わせる一連の写真は、内外に大きな反響を呼びました。
VIDEO 山端祥玉らが撮影した、新しい皇室の姿 ただ、これらは一般的なスナップ写真ではありません。新しい昭和天皇の姿をどう見せるか、極めて冷静に演出が施されています。
昭和天皇が皇太子(今上天皇)に見せている英字新聞は、米国の国防省が運営する「スターズ・アンド・ストライプス(Stars and Stripes)」。皇后とともに屋外で読んでいる雑誌は、英国の戦時雑誌「イラストレイテッド(ILLUSTRATED)」。紙・誌名を読めるようにする事で、「新しい事態」に恭順する姿勢を暗に示しています。
書斎にいる天皇の写真には2つの胸像が映っていますが、実は胸像は3つありました。撮影で使われたのはリンカーン(自由の象徴)とダーウイン(進化論の学者)の像。外されたのは、軍事力を背景に権勢をふるったナポレオンの像です。
VIDEO 「新しい事態」に対応するプロパガンダでもありました 1927年に写真製作会社「G.T.サン商会」を設立した山端。同社は戦前の昭和天皇の姿も数多く撮影しています。
戦前の天皇の姿として求められたのは、指導者としての神格化。当然のことながら表情を崩した写真は一枚もなく、戦後の写真との差異には驚かされます。
陸海軍による演習や視察でも、昭和天皇の姿はたびたび撮影されています。1933年に福井で行われた陸軍特別大演習の記念写真では、最前列中央に昭和天皇、その後ろには数えきれないほどの将兵が並び、軍の頂点としての天皇の姿を示しています。
VIDEO 戦後とは全く異なる、戦前の昭和天皇のイメージ 現在、皇族の誕生日など節目でスナップ写真や映像が公表されますが、その多くはここに展示されている写真のように「自然とふれあい、家族を大切にする」スタイル。まさに山端たちが「象徴としての天皇」のイメージを完成させたともいえます。
今でも日本国内において、皇室の好感度は高い水準を保っています。改めて、この時代における山端らの取り組みの重要性を実感する思いがします。
最後に、会場で最も印象に残った一枚をご紹介しましょう。山端は昭和天皇の写真を撮る前に、御文庫(当時の天皇の住居)に下見に行った際、あまりに質素な事に感激。特に「両陛下のおスリッパを見て感泣してゐた」と伝わります(昭和天皇の侍従長・入江相政日記より)。そのスリッパが、こちらです。
VIDEO 昭和天皇と香淳皇后が使っていたスリッパ [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年12月13日 ]