美人画の第一人者である溪斎英泉は、波瀾万丈の人生を送った絵師です。もともとは武士の家でしたが、若くして両親に先立たれたため、3人の妹を養うはめに。さらに告げ口によって藩をリストラされ、流浪の果てに浮世絵師になったといいます。
初期は師である菊川英山の様式が反映されていましたが、徐々に独自の美学を反映した美人画を確立。当時の人は英泉が描く最先端の美女に魅せられ、その作品は何度も摺られる人気作家になりました。
浮世絵の値段は「かけそば一杯」程度といわれていますので、当時の人は好みの美人の浮世絵を求めていたのでしょうか。
会場浮世絵に詳しい方なら、英泉といえば「あぶな絵」(春画)をイメージされる方もいるかもしれません。少しだけ本展でも紹介されています。
「あぶな絵」吉原の遊女を描いた作品を数多く残している英泉ですが、《契情道中双ろく》(けいせいどうちゅうすごろく)は代表的な作品のひとつです。
東海道の宿場町に日本橋と京を加えた五十五の各所に、吉原の人気遊女を配したシリーズ。どの遊女も艶やかな着物を纏い、特徴的なポーズをとっています。
《契情道中双ろく》展覧会のイメージ画像としても使われているのが《雲龍打掛の花魁》。なよっとした英泉得意の佇まいで、打掛の雲龍模様をを見せつけるように立っています。
ジャポニスム全盛だった当時の欧州で、この絵は評判になりました。1886年にパリで発売された書籍「パリ・イリュストレ」の表紙になり、さらにそれを見たゴッホが、肖像画の背後にこの絵を描いています。
《雲龍打掛の花魁》本展では美人画だけでなく、風景画や武者絵など英泉の別の一面も網羅。また、技法も錦絵(浮世絵)だけでなく、摺物や肉筆画も紹介しています。特に肉筆画は力作が多く、錦絵と違った味わいがあります。
千葉市美術館の英泉コレクションは、英泉の先駆的な研究者だった今中宏氏から購入・寄贈されたもの。このコレクションが美術館設立のきっかけともなりました。今では世界でも指折りの英泉コレクションを誇っています。(取材:2012年5月30日)