前川國男は新潟市生まれ。1928年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した夜、シベリア鉄道経由でパリへ渡り、巨匠ル・コルビュジエと初対面しました。そこで目にしたコルビュジエ作品「ガルシュの家」に大きな衝撃を受け、コルビュジエのアトリエの下で2年間、モダニズム建築の理念を学びました。
帰国後、前川はル・コルビュジエの著書『今日の装飾芸術』を訳出。同年夏には、フランク・ロイド・ライトに伴われて来日したアメリカの建築家アントニン・レーモンドの日本事務所に入り、建築の基礎や技術などを学びます。そのかたわら、1932年、自身の処女作となる「木村産業研究所」(青森・弘前市に現存)を手がけました。
前川は、二人の重要な建築家から学んだ理念を、日本の気候・風土の中で実践し、日本文化の中に定着させることを理想として、1935年、仲間とともに独立し事務所を構えます。独立後の初仕事は、小さなバラックビルの改造「森永キャンデーストアー銀座売店」(現存せず)でした。戦前は、様々なコンペ案に挑みながら、木造によるモダニズム建築の姿も探り、1942年に建てた自邸(東京・小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存)には、前川の原点ともいえる空間表現が残されています。
一方で、建築技術の近代化、建物の耐震性、高温多湿な自然環境への適応性など、当時の日本の建築界が抱える多くの問題に徹底して取り組み、日本独自の近代建築とは何かというテーマを生涯にわたって追求しました。前川建築の大きな特徴は、建物全体を象徴的に統合する大きな庇(ひさし)のデザイン(東京・上野の「東京文化会館」など)、日本の伝統的な焼き物を用いた独自の構法である「打込みタイル」の開発(東京・丸の内の「東京海上ビル」など)、壁に囲まれた空間の単位を組み合わせて流れるような平面プランを洗練させるなど、欧米の建築にはなかった方法論を次々に生み出したことにあります。そして、それらが時間の流れに耐えて豊かに成熟し、環境に溶け込みながら風景を形づくることのできる建築のあり方を模索したのです。
本展は、建築図面約150点、模型約30点のほか、スケッチ、写真、資料に、前川が関わったル・コルビュジエやレーモンドの建築図面も加え、計約250点で、50余年に及ぶ仕事を振り返りながら、前川建築の全体像を再現するとともに、日本の建築における可能性を改めて共有する場となることを願います。