相撲の誕生は、力比べの逸話にまつわるものが多く、『日本書紀』の野見宿禰の勝負は、岩手県内の神社にも絵馬として奉納されています。
江戸時代に大名や商人の保護のもと、全国に娯楽性の高い勧進相撲が興業され、盛岡藩領内でも大流行しました。しかし明治維新で藩の保護を離れた相撲は、今日の大相撲とは別の草相撲として、昭和30年代まで県内各地に残りました。
また勧進相撲の流行は、土俵の形を変化させました。江戸時代以前は、平らな地面で、集まった見物人の輪がそのまま土俵になる人片屋で、俵はありません。これが江戸初期には、線や俵による「四角い土俵」になります。さらに大名のお抱え力士による勧進相撲の興業化が進むと、娯楽性が重視され、丸い形で盛土された、観客が見やすいものに変化しました。
一方、盛岡藩内では、行司が勧進相撲の「四角」を遵守したため、昭和中頃まで、草相撲の中に「四角い土俵」は生き続けました。このような県内に残る独特の相撲文化を、貴重な実物資料から紹介します。