マーク・ロスコは、1903年ロシアのドヴィンスク(現在のラトヴィア共和国、ダウガフピルス)に生まれました。少年期に家族でアメリカに移住し、名門イェール大学に進みますが二年で中退し、1923年ニューヨークに出て画家を目指すようになります。最初は室内の人物や地下鉄の駅などの都会の風景を暗い色調で描き、次いで古代神話にちなむ題名をつけたシュルレアリスム風の絵画を手がけたのち、1940年代の半ば過ぎから具象を離れ、ついには大きな画面にぼんやりとした雲のようなかたちが浮かぶスタイルに到達します。抽象でありながら、光をはらんだ色面が醸し出す神秘性・叙情性に満ちたその絵画は、たちまち世間の注目を集め、ロスコはアメリカを代表する人気画家となったのです。
名声に浴するかたわら、ロスコは「自分の絵画空間」を手に入れる夢を抱きはじめます。それは、他の画家の絵とは一緒にされず、自作だけが部屋の壁に掛けられ、自分の思い通りに照明や展示がなされた部屋のことでした。そうすることではじめて、ロスコの絵は息づき、複数の作品が音楽のように響き合って、鑑賞者をすっぽりと包み込むことができるからです。
以前に手がけていた作品と異なり、壁のように大きな横長の画面に、窓枠を思わせるかたちが配され、深い赤茶色、オレンジと黒を基調に描かれた<シーグラム壁画>は、より深遠な、未知なる世界にわたしたちを誘います。古代の遺跡にも似たその圧倒的な存在に包まれて、自身を省み、心を彷徨わせ、瞑想にひたる—そうした空間の実現を、ロスコはどれほど待ち望んでいたことでしょう。そしてついに1970年、9点の<シーグラム壁画>は大西洋をわたり、ロンドンのテート・ギャラリーに終の棲家を見出しました。また、7点は1990年の開館以来、川村記念美術館の一室に展示され、このアジア唯一のロスコ・ルームは多くの人々に親しまれています。
50年以上にわった散逸したままだった<シーグラム壁画>の半数となる15点が初めて一堂に会し、あらたなロスコ空間を作り上げます。おそらく二度と見ることができない千載一遇の機会となることでしょう。そのほか、<シーグラム壁画>のための展示模型や関連作品、<シーグラム壁画>以前の大作、以降に制作された幻の連作、最晩年の作品など13点と、本邦初公開となるロスコの書簡などをあわせてご紹介し、晩年のロスコ芸術の真髄に迫ります。