秋岡芳夫(1920-1997)は、童画家、工業デザイナー、木工家、プロデューサー、道具の収集家など多彩な顔を持ち、伝統と現代を融合させるそのユニークでユーモアのある思想と方法論は多くの人々に影響を与えてきました。
目黒区中町の自宅を拠点とし、50年代には金子至、河潤之介と3人で「KAK(カック」というデザイングループを立ち上げ、ラジオキャビネットやカメラ機器、家電製品など、総合的に製品をとらえる工業デザインの仕事で実績を積みます。メカニズムに詳しいことから「メカに精通したデザイナーグループ」として時代に乗り、評価されました。この頃の仕事で特筆すべきが、学研の「科学」、「学習」の付録のデザインです。秋岡芳夫とそのグループKAKが関わったことで子どもたちの心をつかみ飛躍的にその販売部数が伸びました。
60年代から70年代にかけて日本は高度成長期に向い、東京オリンピック、世界万国博覧会に沸き立つ「消費」の時代がやってきます。こうした社会においての工業デザインに、次第に疑問を感じ始めた秋岡は、企業優先のデザインの関わり方から抜けだし、その活動の視点を、個々の生活や暮らしをみつめ、使い手や地域の生産者などに向けていきます。良いものを長く使おうという言葉「消費者から愛用者へ!」「手の復権」などはここから生まれてきました。
80年代、秋岡の活動範囲は、宮城県、岩手県、北海道、島根県など、過疎化で悩む地域を含め日本各地に広がり、東北工業大学の教授として大学、行政、技術者とともに、東日本におけるいくつかの地域社会のデザインに取り組みます。岩手県大野村(現洋野町)での、間伐材でもあった赤松を素材にした器の生産は、そこから生み出された代表的な例と言えます。秋岡が描いた「一人一芸の村」構想は、30年経た今日でも大野で受け継がれ、大野の木で作られた保育用給食器は、日本の多くの子どもたちに使われ続けています。
秋岡芳夫のユニークな発想は、常に多くの人たちとの密度のあるコミュニケーションを通して具現化していきました。それは、秋岡も好んで使った日本の伝統的な対話の場・生産の場である「土間」を彷彿とさせる、モノについて語り、人について語り、機能について語る、モノづくりのコミュニケーションのあるべき形と言えます。
本展では、初期の装丁・版画、進駐軍の家具デザインなどの未公開資料も含め、工業デザイン、暮らしへの提案、地域のプロジェクトなど足跡を振り返るとともに、さらに広がりのある秋岡流の遊びに至るさまざまな世界をご紹介し、現代の私たちの暮らし方や生き方を改めて考えていく契機にしたいと思います。モノと自分の関係をもう一度見直さなければならなくなった今、秋岡芳夫のメッセージは、今こそ意味を持つものと思います。
会期中は、北海道置戸町や岩手県大野の作家たちのワークショップや、「モノ・モノサロン」、セミナーなど開催致します。