幕末の江戸に生まれた原田直次郎(1863-1899)は、西洋画の習得を志して高橋由一に師事したのち、ミュンヘンの美術アカデミーに留学します。この地で文豪・森鴎外と終生の友情を結び、「舞姫」「文づかい」と並ぶ鴎外のドイツ三部作の一つ「うたかたの記」では主人公の画学生・巨勢こせのモデルとなりました。
3年の滞欧から帰国した1887(明治20)年、伝統回帰への志向が強まり洋画排斥運動のさなかにあった日本の美術界で、原田は西洋画の正則なアカデミック理念と技術を広めるべく奮闘します。洋画団体「明治美術会」の創立に参加、作品発表と並んで論述活動も行いました。1889年には画塾「鍾美館しょうびかん」を開き、和田英作や三宅克己こっき、大下藤次郎らを輩出しています。1890年の第3回内国勧業博覧会に出品し、画題論争を巻き起こした大作《騎龍観音》などを通して、西洋美術の正統を伝えながらも36歳で病に斃たおれた原田の活動は、日本における西洋画の受容を考える上で短くも重要な軌跡を描きました。
1909(明治42)年、鴎外を発起人代表者とする没後10年記念の遺作展が、東京美術学校(現・東京藝術大学)を会場に開催され、翌年に追想の画文集『原田先生記念帖』も出版されました。
本展は、森鴎外をいわばキュレーターとした前回の遺作展以来、実に107年ぶりの原田直次郎の回顧展となります。重要文化財2点(《靴屋の親爺》《騎龍観音》)を含む原田直次郎の油彩約30点と素描類、森鴎外や徳富蘇峰に協力した挿図や表紙画などグラフィックの仕事約30点に加え、ドイツでの師ガブリエル・フォン・マックスや友人らの作品をはじめ、文化都市ミュンヘンの息吹を伝える日本初公開の19世紀ドイツ美術の絵画・版画・写真類や新作映像、そして高橋由一や松岡寿、伊藤快彦など周辺作家を加え、約180点の作品と資料で、原田直次郎の画業と日本近代美術史における展開を概観します。