あちこちを旅して四季折々の風景を描いた金山平三。 日本に西洋画を広く伝えた人物のひとりです。
彼は何に興味をもち、どんな人生を送ったのか。 会場をめぐるうちに彼の「人となり」が見えてきます。

兵庫県立美術館(神戸市)のエントランス。500点を超える金山作品を収蔵し、館内には金山平三記念室(常設展示)もある
金山は明治に生まれ、大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。今年2023年は彼の生誕140年にあたります。これを記念し、彼の作品や足跡を紹介する特別展が、彼の生まれ故郷にある兵庫県立美術館(神戸市)で開かれています。
ここは金山の作品を世界で最も多く収蔵し、金山平三について最も深く研究し、その画業を最も熱心に世に伝えている美術館です。
金山にスポットをあてた展覧会は過去にも何度か開かれていて、今回はそれをさらに発展させました。収蔵する絵や資料を丹念に分析・検証し、新たに判明した事実なども踏まえ、とてもユニークな切り口で金山平三とその周辺の人々を浮かび上がらせています。

金山平三って、どんな人?どんな絵を描いたの?という疑問に応えてくれるのはもちろんのこと、日本の近代画家たちって、こんなにも熱かったんだ!ということを再認識させてくれる。写真の《自画像》1909年 は4点ある卒業作品のひとつ
西洋画を志して東京美術学校に進み、人一倍熱心に勉強して特待生に選ばれ、同校を主席で卒業した金山。フランスに渡り、パリにアトリエを構え、ルーブル美術館に通い、欧州各地を回って構図や技法を研究。そんな一途な性格と旺盛な向学心が、帰国後の彼の画業を支えました。

金山は雪景色を好んで描いている。左《雪と老婆》1945-56年 右《平隠村》1935-45年
会場には5つのテーマが掲げられています。
第1章は「センパイ・トモダチ」。金山は社交的ではなかったとか、ひとりで旅することが多かった、といわれることが多いのですが、残された資料などから「少し違うんじゃないか」という見方も浮上しました。「孤高の人」にも見える金山ですが、気の合う仲間たちとは密に交流し、互いに刺激を与え合い、技術を高め合っていたからです。

特別展の会場。金山と親しかった満谷国四郎、新井完、柚木久太ら(いずれも日本近代洋画家)の作品も併せて楽しめる
第2章は「壁画への道」。人の身体の動きを丹念に研究した絵が並び、それが戦場における兵士の絵へとつながっていきます。
なぜ戦争の絵なのか。後世に歴史を伝える壁画を描いてほしい、と神戸市から委嘱されたからでした。そもそもこれは80人の画家が80枚の壁画を描き、明治神宮聖徳記念絵画館に納めるという国を挙げてのプロジェクト。
金山に課されたのは縦3m、横2.5mの大画面に、日清戦争の激戦地・平壌を描くことでした。この難題に一心不乱に取り組んだ金山。10年という歳月をかけ、研究に研究を重ねました。膨大な労力を費やした下絵や習作がここに公開されています。

戦闘の場面をいかに描くか。臨場感をいかに高めるか。苦闘した形跡がうかがえる 《画稿(日清役平壌戦》1924-33年
第3章は趣ががらりと変わり、小ぶりの芝居絵が並んでいます。題して「画家と身体・動きを追いかけて」。子どもの頃から芝居が好きで、よく芝居小屋に通っていた金山は、どうやら役者の身体の動きにとりつかれていた時期があったようです。

歌舞伎や文楽などの芝居絵を200点あまり描いている。身体の動きを研究したのだろうか。彼自身も芝居の衣装を着て踊ることがあったらしい
第4章は「生命への眼差し」。花瓶に生けた花の絵などが並んでいます。なかでも目を惹きつけられるのは、ちょうど盛りを過ぎたばかりの、いままさに枯れゆく瞬間をとらえた花の絵です。構図、色、細やかな筆遣い。どこにも妥協を許さない金山のこだわりが感じられます。

《菊》1921年頃 売るための絵は描かなかった金山だが、花の絵は人気があった。譲ってほしいと懇願され、金山家のつつましい暮らしをいくぶんなりとも潤わせたことが、夫人の出納簿に記されている。夫人は東京女子師範学校を経て東北帝国大学で数学を修めた才媛。夫のよき理解者で、秘書のような役割も務めた。金山の没後、夫人は金山の作品130点を兵庫県に寄贈している
第5章は「列車を乗り継いで ― 風景画家の旅」。金山の後半生は旅に費やされたといっても過言ではないでしょう。審査員を務めていた中央画壇とは距離をおき、自分の絵に集中するようになりました。結婚後の住まいは東京です。そこから列車を使い、風景を描くために信州や北陸、上越や東北の各地をめぐりました。

彼の好きな風景は内陸部や日本海側に多かったようだ。極寒の地もしばしば訪れている。左《妙高山》1917-34年 右《妙高温泉》 1917-34年
金山はどこを、どんな順番で、どんなふうにめぐったのか。同美術館は写生地へのルートを、残された資料などから丹念に追っています。資料とは、金山が旅先からしばしば妻にあてて送った絵はがきのこと。そこには乗った列車、目的地までの経路、かかった時間、その日の天気などが細かく記されています。
[ 取材・撮影・文:シナモンロール / 2023年6月2日 ]
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