今年は、日本・オーストリア外交樹立150周年記念の年。グスタフ・クリムト展の開催も話題で、心待ちの人も多いでしょう。
そのクリムトが中心となりウィーン分離派(正式名称はオーストリア造形芸術家協会)が設立された1897年から第一次世界大戦勃発の1914年までの間に、ウィーンで生み出されたグラフック作品などの数々が紹介される展覧会が京都国立近代美術館で始まりました。
2015年に当館が一括コレクションした約360点、初公開です。
《ヘルマン・バール、ペーター・アルテンベルク(序)『グスタフ・クリムト作品集』1918年》(一部)
タイトルにある「世紀末」という響きは、何か退廃的な印象を醸し出します。
しかし目の前にある作品たちは、とても斬新、ポップ、または緻密と様々。会場を歩いていると、その時代の人々の活気ある声が聞こえてくるかのようでした。
分離派とは、過去の保守的な様式から「分離」し、新しい自由な芸術を目指した芸術運動です。
ミュンヘン、ベルリンでも分離派は結成されましたが、「豊かな人々のための芸術と貧しき人々のための芸術の区別」を撤廃することを目標に掲げ、人々の生活に影響を及ぼしたウィーン分離派が最も有名です。
本の装丁、カレンダー、家具、トランプ…展示品を見ていると、その成果をしっかり確認することができます。
《エディタ(ディタ)・モーザー トランプカード 1905年》
《ルドルフ・ユンク 1908年版カレンダー 1907年》 (手前)
ウィーン菓子店「デメル」の菓子箱に描かれた挿し絵に似た作品もありました。
現在でも、その菓子箱をコレクションしたくなる程デザインに魅了されているのだから、当時のウィーン分離派が及ぼした影響は、どれほどの勢いだったか、人々はどう感じ反応していたのか…私の想像力では追いつきそうにありません。できることならタイムスリップして体感したい!妄想全開です。
《ベルトルト・レフラー 十二月(カレンダーのためのデザイン案) 1906年頃》
本展の魅力は作品だけではありません。今回、入口すぐの光景にハッとしました。
そう、会場から外の大階段が望める窓があるのです!
(写真 入口) 《リヒャルト・ルクシュ 女性ヌード 1905年頃(石膏) 武蔵野美術大学 美術館・図書館》
会場構成をしたのは、建築家の大室佑介さん。
大抵は、展示のために覆われている窓を、今回は久しぶりに見せる構成にしたそうです。
また、あえて入口出口を意識させない会場作りになっており、好きなコーナーを好きなだけ楽しめるようになっています。
過去の素晴らしい作品を見るだけではなく、現代建築家の工夫で、魅力が倍増しています。
100年以上前にウィーンで生まれた芸術の波を、ここ日本で楽しめることに感謝しつつ、未来へ引き継がれることを願う、自然とそんな気持ちになりました。
今年は、ウィーンのこの時代の作品を多く見る機会があるでしょう。
この展覧会で、時代や生活の根底を流れるような芸術を知ったことで、鑑賞の幅が広がりそうです。
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カワタユカリ
美術館、ギャラリーと飛び回っています。感覚人間なので、直感でふらーと展覧会をみていますが、塵も積もれば山となると思えるようなおもしろい視点で感想をお伝えしていきたいです。どうぞお付き合いお願いいたします。
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