美濃(岐阜県)生まれの円空と、甲斐(山梨県)生まれの木喰。活躍した時代はほぼ100年違いますが、穏やかな表現の像が庶民の暮らしに受け入れられたさまは、相通じるところがあります。
展覧会は年代順で、まず円空です。円空は32歳から造像を始め、生涯で12万体を彫ったとも言われています(確認されているのは5400体余です)。
会場には巨大な像から、円空仏ならではの木端仏(こっぱぶつ:文字通り捨て去るような木片に刃跡をつけて仏像にしたもの)まで、ずらり。展覧会初出展の像が多数あるのも、見どころのひとつです。
円空仏の数々 動画最後は、新発見の《宇賀弁財天》(江島本町自治会、鈴鹿市寄託)清瀧寺(栃木・日光市)の《不動三尊》は、円空の造形感覚がよく現れた像。中央の不動明王は、朽木をそのまま火焔光背として利用しています。手を上げた矜羯羅(こんがら)童子、宝棒が右端にある制多迦(せいたか)童子(普通は宝棒は中央)も、円空ならではの発想です。
明福寺(三重・三重郡菰野町)の《薬師如来/阿弥陀如来(両面仏)》は、一木の両面に二尊を彫った珍しい像。現世(薬師)と来世(阿弥陀)の両方を守ってもらえる事となります。
順に、《不動三尊》清瀧寺(栃木・日光市)、《薬師如来/阿弥陀如来(両面仏)》明福寺(三重・三重郡菰野町)続いて木喰。像を彫り出したのは61歳になってからで、93歳で亡くなるまでひたすら造像に励みました(確認されているのは720体)。
これまで木喰は、北海道に渡った時から造像を始めたとされていましたが、本展の準備中に、それより前に制作された像を青森で発見。定説を覆す貴重な作例です。
会場後半には、現存する木喰仏の最後の像も展示されているので、木喰の最初期から最晩年までの像が揃った事になります。
木喰仏の数々 順に木喰最初期の像《釈迦如来》海傳寺(青森・上北郡六戸町)と、最晩年の像《阿弥陀如来》慈雲寺(長野・諏訪郡下諏訪町)自身を象った「自身像」が15体確認されている木喰。ふっくらとした顔つきで、微笑みをたたえた表情が特徴的です。
中には顔がすり減って、のっぺらぼうになった自身像も。新潟・長岡市の金毘羅堂に伝わる自身像で、なんと子どもたちがソリにして使っていたため、すり減ってしまったそうです。
自身像とはいえ、寺の像をソリにするとはかなり大胆ですが、庶民の暮らしの近くにあった木喰像のあり方としては象徴的ともいえます。
順に、《自身像》日本民藝館(東京・目黒区)、《自身像》《十王尊》《葬頭河婆》《白鬼》東光寺(兵庫・川辺郡猪名川町)、《秩父三十四所観音菩薩のうち 自身像》金毘羅堂(新潟・長岡市)ほんのりと木の香りが漂う会場。ケースに入っていない仏像も多いので、近くまで寄ってノミ跡まで堪能できる嬉しい展覧会です。
横浜展の後は山梨展(3/28~5/18
山梨県立博物館)、名古屋展(6/13~7/12
松坂屋美術館)、岡山展(7/17~8/23
岡山県立美術館)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年2月9日 ]■円空・木喰展 に関するツイート