《原爆の図》を描き、戦争や核廃絶の問題を生涯かけて問い続けた丸木位里・丸木俊夫妻。二人が1950年代に全国各地で行った「原爆の図展」は、米軍占領下において核被害の実態を多くの市民に視覚的に伝える最初の試みとなりました。そのただ中に起きたのが「第五福竜丸事件」です。1954年3月1日、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、米国の水爆実験が行われました。近くで操業していた遠洋マグロ漁船・第五福竜丸の乗組員23名は、巨大なキノコ雲を目撃、放射能を含む死の灰を浴びました。静岡県焼津に帰港した彼らはすぐに病院に運ばれましたが、無線長の久保山愛吉は「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残して9月23日に亡くなりました。この事件は大きな注目を集め、東京・杉並から全国に広がった署名運動など、人びとの反核への関心を高めました。丸木夫妻は、翌1955年に事件を主題にした原爆の図第9部《焼津》を発表。さらに1956年には第10部《署名》を発表して、広島の原爆体験を表象していた「原爆の図」に、同時代の問題を反映させるという試みを行いました。また、リトアニアで生まれ、移民として渡ったアメリカで20世紀を代表する画家となったベン・シャーンは、57年から58年にかけて月刊誌『ハーパーズ』で物理学者ラルフ・ラップの第五福竜丸に関するルポルタージュに挿絵をつけ、絵画連作“ラッキードラゴン・シリーズ”に発展させました。本展では、丸木夫妻の共同制作《焼津》、《署名》に加え、ベン・シャーンの“ラッキードラゴン・シリーズ”より水彩・素描21点を紹介。第五福竜丸展示館の協力を得て、事件の経緯から現在にいたるまでの状況を展示パネルで解説いたします。