大正時代は音楽の時代でした。
明治に流入した洋楽は、明治末から大正にかけて多くの若者たちに「趣味」として受け入れられました。中でも唱歌の制定や西洋楽器の輸入を背景に学校の正課として、とりわけ女子教育でさかんになりますが、ハーモニカやマンドリンは男子にも好まれ、音楽の世界が広がっていったのです。
こうした近代日本の音楽シーンでは、文学・絵画などと同じく、気質的には浪漫的ムードが好まれましたが、こうした流れをいち早く見据えたのが「セノオ楽譜」の発行でした。
「セノオ楽譜」はセノオ音楽出版社主宰妹尾幸陽によって、大正四年から発行され始め、昭和初期までには通算800 種以上の楽曲目が発行されました。その内容は。独唱曲、合唱曲、歌劇、器楽曲(バイオリン、ピアノ、ハーモニカ、マンドリンなど)、流行歌、民謡曲など幅広いものがみられます。
この「セノオ楽譜」発行の流行は、西洋音楽がいかに広く大衆に熱狂的に受け入れられたかの証しでもあります。更に特筆すべきは、「セノオ楽譜」の表紙絵は、人気画家だった竹久夢二によるものが多く、「セノオ楽譜」の広がりは、夢二のデザイン性の高さと新鮮さに依るところが大きかったと言えるでしょう。
一方では、高畠華宵などによって雑誌に描かれた「音楽を楽しむ少女たち」(楽器を弾く、唄を歌う、楽器を弾くなど)の姿が、西洋憧憬への夢を育み、西洋音楽への憧れを一層かきたてたと言えます。
≪セノオ楽譜と大正クラシックス≫――この展覧会は、大正期のそうした音楽シーンを再構築することで、ジャンルを超えて芽生えた(絵画、映画、音楽、文学など)大衆文化の息吹きをお楽しみ下さい