生涯何万点もの絵を描いたという北斎は、凄まじい描写力の持ち主だ。同時に鋭い「目」の持ち主でもある。
北斎は宝暦十年(1760)江戸本所割下水で生まれた。絵の才に秀でていた北斎は、天保5年(1834)に刊行された『富嶽百景』の跋文(あとがき)に、六歳の頃から絵を描いていたという言葉を残している。幼い頃から絵を描くことが好きだった北斎は、身近にある草花、動物などを観察し、スケッチしていたのだろう。
北斎が描く動物や植物は、今にも動き出しそうなほどの躍動感と生命力に満ち溢れている。天めがけて伸びる草木や、風を受けた花びらや葉、水中を素早く動き回る魚、勢いよく駆けまわる駒。北斎は動植物が見せる一瞬の動きや表情さえ自身の目を通し掴み取ることができる絵師だった。
彼はまた、渦巻く雲や、矢のように勢いよく降り注ぐ雨、雲間を駆け抜ける雷などの天気や光にも目を向け、貪欲に描いた。版本作品に見られる、富士の裾野を走る稲妻、爆発によって弾き起きる凄まじい閃光の表現は、モノクロ作品であるものの、思わず目を覆いたくなるような眩しささえ感じさせる。
それだけでなく、北斎は建造物のスケッチも意欲的に行った。寺社仏閣、武家屋敷、商人が行き交う魚河岸や茶屋など、建築物の細部に至るまでとことん描いた。その狂いのないデッサン力、描写力には驚かされるが、それも北斎のものを捉える鋭い「目」の賜物だろう。
特に北斎が描く水の姿は、他の絵師よりも群を抜いていた。彼の代表作である錦絵「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」や、版本『冨嶽百景』中の「海上の不二」に見られるような砕ける波の表現は、まるでカメラのシャッターを切ったかのように一瞬の動きを画面に閉じ込めた、強烈な印象を与える作品だ。作品の中に描かれた水を追えば、とどまる事を知らないそれを己の目で追い続けた北斎の執念さえ伝わってくる。
この展覧会であなたもきっと口にしてしまうことだろう。
「北斎の目はなんという目だ!」