時に社会にさまざまな影響を与えてきたデザイナーたち。ブルーノ・ムナーリやマックス・ビルら6名を「デザインの先生」として、デザインが提示してきた多様な視点に迫る展覧会が、21_21 DESIGN SIGHTで開催中です。
残された言葉や代表作、記録映像をもとに、彼らがどのように“考え、つくり、伝えよう”としてきたのかを読み解いていきます。

21_21 DESIGN SIGHT 企画展「デザインの先生」会場入口
早速、6名の「先生」を、順にご紹介していきましょう。
まずは、ブルーノ・ムナーリ(イタリア生まれ、1907–1998)から。若くして芸術運動「未来派」と出会い、その思想を独自に展開しました。
「役に立つ/立たない」という常識を鵜呑みにせず、批評的な眼差しで問い直し続けていったムナーリ。子どもの創造力を引き出す「ムナーリ・メソッド」は、今も世界各地で教育法として広まっています。

ブルーノ・ムナーリ 展示風景

ブルーノ・ムナーリ 展示風景
続いて、アキッレ・カスティリオーニ(イタリア生まれ、1918-2002)。ミラノのスタジオには、彼の「プロジェッタツィオーネ」(計画・設計)の原点となった道具やオブジェが今も残されています。
ときに奇抜な形に見えることもあるカスティリオーニのデザインですが、常に理にかなった理由が存在します。並外れた観察力から発見へ、そして形へというプロセスこそが、カスティリオーニのデザインの核心です。

アキッレ・カスティリオーニ 展示風景

アキッレ・カスティリオーニ 展示風景
エンツォ・マーリ(イタリア生まれ、1932-2020)は、「これは生か死かの問題だ!」と叫ぶほどデザインを真剣に語ったマエストロ。物資が乏しい時代、限られた素材を工夫してものをつくる経験が、彼の創造の原点でした。
生涯で2,000点を超える革新的なプロジェクトを生み出す一方で、ものの「表面」ではなく、その背後にある試行錯誤や思想こそ見てほしいと訴え続けました。

エンツォ・マーリ 展示風景

エンツォ・マーリ 展示風景
マックス・ビル(スイス生まれ、1908-1994)は、建築家、芸術家、教育者など多彩な顔を持ち、バウハウスでパウル・クレーやワシリー・カンディンスキーらに師事しました。戦後、ウルム造形大学の設立に携わり、初代学長を務めるなど、教育にも尽力しました。
「手工業も工業製品も、美しさも機能を持つ」というプロダクトフォルムの考え方は、「vom Löffel bis zur Stadt(スプーンから都市計画に至るまで)」という言葉にも示されています。

マックス・ビル 展示風景

マックス・ビル 展示風景
オトル・アイヒャー(ドイツ生まれ、1922-1991)は、1972年のミュンヘン・オリンピックのデザイン統括や、フランクフルト国際空港の視覚誘導システムなど、20世紀のデザイン史に不朽の功績を残したグラフィックデザイナーです。
民主的な社会の理想を追求し、ウルム造形大学の設立にも尽力しました。

オトル・アイヒャー 展示風景

オトル・アイヒャー 展示風景
ディーター・ラムス(ドイツ生まれ、1932-)は、ドイツの工業デザインを牽引し続けてきたデザイナー。1955年にブラウン社に入社し、建築家としての視点から、製品を空間を構成する要素と考え、環境との調和を模索しました。
彼が地球環境への問題意識から導き出した「良いデザインの10ケ条」は、フィジカルとバーチャルが混在する現代においても、デザインの本質を問いかけます。

ディーター・ラムス 展示風景

ディーター・ラムス 展示風景
他に展覧会では、マックス・ビルやオトル・アイヒャーに学び、後に生涯にわたって親交を深め、日本におけるデザイン学の礎を築いた向井周太郎(1932–2024)にも触れています。
激動の時代を生きた彼らの揺るぎない信念と視点に触れ、デザインが持つ本来の力を改めて感じることができる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年11月20日 ]