笹本恒子氏は日本ではじめての女性報道写真家です。カメラをとおして戦時下の日本を伝え、戦後はフリーの写真家として活躍、その活動は半世紀を超えます。
氏が初めてカメラを手にしたのは1940年、日中戦争の真っ最中でした。戦時下の情報宣伝の重要性を感じていた東京日日新聞(現毎日新聞)社会部の林謙一氏が「日本は宣伝戦で立ち後れている」と、写真による国外宣伝機関「写真協会」を立ち上げます。そこでは世界各国の写真やグラフ誌をまとめる一方、国内のニュースや文化を広く海外へ発表していました。面白そうだから行ってみないかと知人にすすめられ、笹本氏は思い切って写真協会の門を叩きます。そこでであった林氏の熱弁に好奇心をくすぐられ、何も知らない写真界に飛び込む決意をしたのでした。「女性の目をとおして物を見る、女性だけが撮れる写真が必ずあるはず」、その言葉を胸に、男性ばかりの職場に少々怖気づきながらもシャッターを押し、報道写真家としての道を今日まで歩きつづけました。
中には、目を逸らしたくなる現実や、女性蔑視の壁に突き当たることもありましたが、同じ時代に生きる女性の主張を社会に訴えるべく、また反戦の強い思いが氏を奮い立たせ、被写体へと向かわせました。女性しか入ることの許されない場所や、体当たりの取材で撮影された写真は笹本氏独自の視点で切り取られ、誇張や脚色のない自然体の日本を私たちに見せてくれます。