2022〜23年にかけて、大阪・東京・愛知と巡回した「展覧会 岡本太郎」。岡本の個性的な仕事を網羅的に紹介し、大盛況のもとにフィナーレを迎えました。
出展されていた多くの作品が、所蔵館である川崎市岡本太郎美術館に里帰り。ご当地での「凱旋」展覧会がはじまりました。

川崎市岡本太郎美術館 展示室入口
川崎市岡本太郎美術館には常設と企画の展示スペースがありますが、本展では両方を使って、その魅力をたっぷりと紹介していきます。
第1章は「パリ時代」。岡本は18歳で渡欧し、パリで前衛芸術家や思想家らと交友。この時代の作品は戦災で消失していますが、当時刊行された画集をもとに、会場では原寸大のパネルで紹介されています。

第1章「パリ時代」
第2章は「戦後の前衛として」。大戦のため帰国した岡本は、召集を受けて中国戦線へ出征。1946年に復員し、活動を再開します。
日本では、旧態依然とした美術界に反発。相反する要素を対置することで生まれる反発のエネルギーを提示する「対極主義」を掲げ、戦後の前衛芸術を牽引していきました。

第2章「戦後の前衛として」
ここまでが常設展示室での展示です。第3章「画壇のアヴァンギャルド」からは、大きな企画展示室になります。
戦後の岡本は、二科展を中心に活躍しました。自らが選出した作家を展示した「第九室」が「太郎部屋」と呼ばれるなど話題を呼びましたが、団体内での活動に限界を感じ、1961年には二科会から脱会。作品も、抽象的なモチーフを描く色あざやかな画面に変貌していきます。

第3章「画壇のアヴァンギャルド」
第4章「日本再発見 ─ 伝統と創造」には、写真が並びます。
作品制作と並行して、岡本は1950年代から日本文化や風土を探究しました。東京国立博物館で「発見」した縄文土器から造形美を見出し、独自の文化論を掘り下げていきます。
展覧会では未公開の資料の中から、『日本の伝統』に収録された「中世の庭」のための1950年代当時の紙焼き写真が紹介されています。

第4章「日本再発見 ─ 伝統と創造」
第5章は「今日の芸術 ─ 建築・デザインとの協同」。壁画やモニュメントなど、建築家とコラボレーションした作例も多い岡本。戦後日本を代表する建築家・丹下健三とは、旧東京都庁舎の壁画、国立代々木競技場の壁画、万博での大屋根の《太陽の塔》と、3度にわたり協働しました。
1968年には、フラワーデザインの学校である《マミ会館》を設計しました。岡本が手がけた唯一の建築で、生き物のような外観は特徴的ですが、残念ながら現存しません。

第5章「今日の芸術 ― 建築・デザインとの協同」 手前が《マミ会館》
第6章は、岡本の代表作でもある「明日の神話と太陽の塔」。あまり知られていませんが、両作品の制作期間は重なっています。
岡本は、1967年に日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任。《太陽の塔》の原型制作を進めるなかで、並行して制作したのが、メキシコオリンピックにあわせて開業する予定だったホテルの壁画《明日の神話》でした。

第6章「明日の神話と太陽の塔」
第7章は「眼の宇宙」。1970年代以降の岡本太郎の絵画には、繰り返し眼や顔が登場します。もちろん、顔や眼というモチーフは初期の頃から画題になっていましたが、この時期には特別なモチーフとして、多くのヴァリエーションが追求されました。
さまざまな眼の作品に包まれる、パワーあふれる空間です。

第7章「眼の宇宙」
最後の第8章は「見ることから描くことへ」。岡本は1954年に著した『今日の芸術』(光文社)で、すべての人に対して創造することの大切さを述べています。
このコーナーでは、スケッチを呼びかけています。ベンチに座ったり、床に座ってベンチを机がわりにして、大人も子どももスケッチをしてみましょう。

第8章「見ることから描くことへ」
代表作をはじめ、絵画、彫刻、インダストリアルデザイン、ドローイング、写真と、幅広い作品を楽しめる展覧会。「展覧会 岡本太郎」で岡本の作品を知った方も、この個性的なミュージアムで鑑賞すると、また違った魅力を見つけられると思います。
夏休み期間の8月31日までは、美術館1階無料スペースにて、展示イベント「超凱旋!タローマン」も併催されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年7月7日 ]