会場冒頭に展示されているのは華岳の《墨牡丹之図》(京都国立近代美術館)ですが、その先は、まず華岳の周辺にいた作家から。幕末から明治にかけて京都画壇で活躍した先人として田能村直入や今尾景年ら。同じ師や学校に学んだ同時代の画家として入江波光、土田麦僊、小野竹喬の代表作がずらりと並ぶ、豪華な構成です。
本展では嬉しい事に、山種美術館の一番人気である竹内栖鳳《班猫》[重要文化財](山種美術館)も全期間で出展中。華岳にとって栖鳳は、京都市美術工芸学校(美工)、および京都市立絵画専門学校(絵専)時代の師にあたるため、師弟による重要文化財作品のそろい踏みとなります。
栖鳳は沼津で見かけたこの猫に一目ぼれ。譲り受けて京都に連れ帰り、写真撮影や写生を繰り返した後に本作を描き上げたと伝わります。
第1章「先人と学友 ─ 京都画壇の画家たち」華岳の作品は計19点を第1会場と第2会場の2カ所に分けて展示。お目当ての《裸婦図》は第2会場にあります。
1918年、華岳は文展の審査基準に不満を唱え、竹喬や麦僊らとともに「国画創作協会」を設立。《裸婦図》は国画創作協会の第3回展に出展された作品です(ちなみに、第2回展出品の《日高河清姫図》も重要文化財、第1回展《聖者の死》は焼失しています)。
女性像は生身の人間というよりは、インドの仏像を思い起こさせる表現。華岳の言葉を借りると「久遠(くおん)の女性」を表現しているといいます。
なお、同じ展示室には下図も展示されています(両者が同時に展示されるのは16年ぶり)。下図の左下には本画にはない白鳥が描かれているなど、創作の過程もお楽しみいただけます。
第2章「村上華岳 ─ 《裸婦図》への道」《裸婦図》の出展にあわせ、その時代の前後の京都画壇の作家による女性像も紹介。女性像といえば最初に名前が挙がる上村松園をはじめ、伊藤小坡や福田平八郎らによる作品が並びますが、ダントツの存在感といえるのが甲斐庄楠音の《春宵(花びら)》(京都国立近代美術館)です。
「肉感的」という説明では全く足りない、強烈な毒気を孕んだ作品。麦僊は楠音が描いた別の絵を「きたない絵」と貶しましたが、華岳は楠音の力量を買っていました。退廃的な大正デカダンス表現の極致といえる、異彩の作家です。
第3章「京都画壇の女性表現 ─ 《裸婦図》の前後」フェノロサと岡倉天心以来、近代日本画はどうしても東京を中心に注目が集まる傾向があるため、京都画壇の画家で全国区といえるのは、竹内栖鳳や上村松園などごく一部。華岳はもとより、東京で京都画壇の作家をこれほどまとまって見られるのは、貴重な機会といえます。
前後期で展示替えがある本展。最後にご紹介した甲斐庄楠音は11月23日(月・祝)までですが、かわりに11月25日(火)からは同じように毒気を感じる岡本神草の代表作《口紅》(京都市立芸術大学芸術資料館)や、珍しい華岳の油彩画(自画像)や、僅か数点しか作品が確認されていない大西荘観の《外出前》(京都市立芸術大学芸術資料館)も登場します。どちらも見たい方は、リピーター割引でお楽しみください(有料入場券の半券提出で、団体料金となります)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年11月4日 ]■山種美術館 村上華岳 京都画壇の画家たち に関するツイート