明治維新は、茶湯界にも大打撃を与えましたが、その衰微は煎茶の流行と軌を一つにしていました。幕末からの文人趣味の横溢は、維新期の混乱に関わらず続き、煎茶は順調に勢力を伸ばします。しかし、日清戦争を経て日本人の中国観は大きく変化し、明治中期を境に急速に凋落しました。ここで漸く茶湯は復興、煎茶から茗讌(大寄せの煎茶会)や茗讌図録(茶会記)の形式を受け継ぎ、定着させます。大寄せの茶会は、旧来のパトロンであった大名層を失った茶湯が大衆化する為に、大いに貢献する事になりました。
この頃、社会は国粋主義の気運が高まっており、茶湯も自ずとその時代思潮に組み込まれていきます。そこで語られるのは精神性の効用で、それは遊芸からの離脱という幕末の無昧や直弼の動きに連なるものでした。中でも裏千家十一代・玄々斎(1810-77)は、茶を理念的な精神性の高い礼法へ向かわせようとし、近代社会に即した点前として立礼式を考案する等工夫を加え、裏千家中興と謳われます。文明開化がもたらした西洋式活版印刷は、多数の印刷物の発行を可能にしましたが、それはすぐ他流にも影響を与え、今日の出版事業に至っています。
さらに、ナショナリズムの昂揚は、国史史料編纂事業を推し進めました。明治31年(1898)の『史料大観』を皮切りに、『古事類苑』『好古類纂』等に過去の茶書が復刻され、その後の茶湯研究の基本となります。また。国粋思想が随所に表れた、岡倉天心の『The Book of Tea』がアメリカで刊行されたのは、明治39年の事でした。この国際的な茶論書は、多くの言語に翻訳され、現在でも入門書として世界中で読まれています。
一方で、茶は横浜開港以来、生糸と並ぶ主要な輸出品となり、製茶書や茶業関係の雑誌が多く発行され、産業の近代化をも支えました。
本展では、茶書約50点で、この近代の胎動を振り返ります。伝統文化を、現代にも脈々と行き続けさせる礎を築いた明治と言う時代にご注目ください。