向井潤吉が民家と出会い、その姿を描き始めたのは、向井が44歳を迎えた昭和20年の晩秋。戦後の時流の中で、草屋根の民家は急速に次々と失われていきました。向井潤吉が民家を描きとめ、後世に伝え残そうとする強い衝動を抱き絵筆を構えたその背景には、いったいどのような物語があったのでしょうか。
向井潤吉の作風には、その多くに的確なリアリスムが感じられます。しかし、それは一朝一夕になるものではありませんでした。その若き日、向井潤吉は京都の関西美術院で徹底した素描の修練を重ね、また油彩画とも出会っています。ここで学んだ基礎が、後年にわたり向井の画業に影響を与え続けたことは言うまでもありません。
さらに昭和2年から5年にかけて渡欧した向井潤吉は、ことにるルーヴル美術館へ日参し、古典名画の模写に没頭しています。世に名画と謳われる作品の模写を通じて、画材、技法、色彩の研究を余念なく積み重ねました。アングル、コロー、ルノアール、デューラー、ティッツアーノなど、21点にも及ぶ模写は、向井潤吉に西洋美術の深遠を痛感させ、さらに日本人が油彩画を描くことの意義を考えさせるに至ったのではないでしょうか。
向井は、「単に色彩の記憶の為や、線や構図の研究から、所謂自由模写の方法を選択するよりも半ば贋作する心境で、小さな亀裂一つすら見逃さない原画至上主義的な態度と方法が最も価値がある」(「美術手帖」昭和24年7月号《模写寸話》)と述べています。模写を通じ、対象に向かう画家としての真摯な姿勢が向井潤吉の内面に培われたことが窺い知れます。
こうして、向井潤吉の画家としての素地が、自覚的でひたむきな修練の中に育まれたいったのです。その後、戦争と従軍画家という時代の軋轢の中で、様々な非日常的体験を経たのち、向井潤吉は草屋根の民家という、極めて日本的なモティーフと出会うことになります。屋外での制作は、あらゆる自然の事象を五感でとらえ、これを洞察することから始まります。対象を丹念に観察し、ふんだんに描きこんでいくことの礎は、おそらく若き日に紙数を重ねた素描に、そして原画至上主義と言わしめた模写にあるのでしょう。
本展では、向井潤吉の模写作品と、その制作過程を克明に記録した手記も併せてご紹介し、長年にわたって向井潤吉が培った画家としての技術と、その成果が民家をモティーフとした作品に反映していく過程を検証いたします。