北海道大学は、現在札幌近郊に5棟の山小屋を所有し、山岳系クラブの活動や学生・教職員の研修やレクリエーションに活用されるとともに、多くの一般市民にも利用されています。このように多くの山小屋を所有する大学は他になく、北の大地に根ざす本学のオリジナリティー溢れる貴重な資産です。また、大正末から昭和初期にかけて建設された日本では最古の本格的スイス式ヒュッテで、北海道の貴重な遺産でもあります。これらの山小屋は、本学の特色でもあるフロンティア精神を育み、自然をフィールドとする文化を育て、実践的科学者を多く輩出しています。これからも、札幌近郊の自然を足がかりに世界へ羽ばたくベースキャンプとして、多くの人々に活用してもらいたいものです。
本学の山小屋の歴史は、医学部教授故大野精七先生が1924(大正13)年に北大スキー部長に就任したことに始まります。大野先生は、留学時に堪能したヒュッテンレーベン(Huttenleben、山小屋生活)やスキーツアーの楽しさを札幌で実現すべく、親友の医学部教授故山崎春雄先生とともに、定山渓を中心とした山小屋の連鎖を構想しました。最初の3棟は、日本へ初めてスキーを紹介したといわれる北大予科ドイツ語講師ハンス・コーラー先生の義兄で、札幌の北星女学校教師館や函館のトラピスチヌ修道院・聖堂などを設計したことで知られるスイス人建築家マックス・ヒンデル氏の設計によるもので、日本の建築史においても特異な建造物です。
1928年には、完成2年後のテイネパラダイスヒュッテに秩父宮殿下が宿泊され、大野先生やスキー部員や山岳部員たちと山スキーやヒュッテンレーベンを楽しまれました。宮様は大野先生らの考えに賛同され、自ら秩父宮小屋(現在の空沼小屋)を建てられました。その流れは、現在も続く宮様スキー大会、大倉シャンツェの建設、そして冬季オリンピック札幌大会(1972年)へとつながっております。また、山小屋で育った若者たちは日本スキー界の指導者や日本で最初の冬季オリンピック選手(1928年第2回大会)、世界最初の8000m峰(ダウラギリ峰、ネパール)冬季初登頂として活躍しています。
しかし、残念ながら、近年は、これらの山小屋の存在や歴史、自然に抱かれたヒュッテンレーベンの楽しさなどが充分に継承されていない状況にあります。 北海道大学創基130周年記念事業として開催する本総合博物館企画展示では、本学の特色ある資産である R小屋の歴史・価値・魅力を多くの方々に知っていただき、有効に活用することを促し、自然科学への興味、人格形成など、様々な形で将来に役立てる一助となることを意図します。また、青少年の野外活動など、広く一般市民の利用を促す契機とし、本学の地域貢献をアピールしたいと考えています。